ナンシー小関問題

http://mixi.jp/view_community.pl?id=356546

http://www.tokyo-np.co.jp/00/thatu/20060406/mng_____thatu___000.shtml


ほおほお。いろんなものが出てきますね世の中。
まあ、私が常々言っていることはいつも同じ!


・「晩年」のナンシー関は、センスが微妙にズレ始めていた。
ナンシー関は、けっきょく「テレビ」という枠を守ったし、超えられなかった(「信仰の現場」をナンシー関の良心として持ち出すことは半分は正しいが、あれがあれ1冊で終わったことはナンシー関の限界をも表していた)。
・ブロガーは(商業誌のコラムニストもそうだけど)、ナンシー関を模倣するのではなく、超えることを目指せ。


何度も何度も書いているが、何か事件が起こったときに「もしもナンシー関が生きていたら」的なことを言う人がいるが、
それは何か「いい気になっている」やつに対する違和感だろう。いまだと亀田三兄弟あたりか?
しかしだ、今、ナンシー関をどのようなかたちであれ「降臨」させることによって(たとえば)亀田三兄弟を叩いたとしても、


それは逆に「ナンシー関」を持ち上げる、極端に言えば「神格化」することにさえなりかねんのですよ!!
それほどまでに愛された「辛口」コラムニスト、というナンシー関のすごさは再認識することはできても、
そのままでとどまっていていいんですか? とつくづく思うよ。


ナンシー関の死の直後も、多少ネット上で文体模写などが見られたが、それは「追悼」の意味もあるからいい。
しかし何年も経ってそれやっちゃいかんだろう。


今、意図的に「それやっちゃいかんだろう。」って書いたけど、
こういうフレーズもナンシー関が多用していた。
まあ自明のことではあるが、ナンシー関は視点と同時に「芸能」に関する評の「文体」までをも規定してしまっている。知らないけど。
ほら「知らないけど。」出た!
出ました! パァ!(これはますだおかだ


今やるべきことがあるとしたら、ナンシー関が評せなかったこと、限界を露呈したこと、彼女が「コラム」において綴り続けたその「文学的」側面などの洗い出しだろう。


たとえばナンシー関的な視点は、パルコとか電通文化、あるいは古い体質の「芸能界」を斬るには実に有効だったが、
それは「庶民」の視点ということである。
以前、どこだったか忘れたが彼女は「冷蔵庫の中のものをダメにしてしまうと、『ダメな大人』になってしまう気がしてものすごく落ち込む」的なことを書いていた。
彼女自身にすれば、一種の「虚業」に携わっていた自分を律する基準がそういう「冷蔵庫の中のものをダメにしてはらない」といった「地に足のついた」部分だったのだ。


ということは、逆に言うと(これも何度も何度も書いているが)「選挙の日は、家族で投票行って帰りに外食する」という庶民の視点で歌詞を書いた「つんく」的なものには彼女は弱かったということでもある。
ミニモニ。に、なんで矢口が入っているんだよ」というナンシー関のツッコミを読んだとき、ああ、さすがに時代とズレ始めたなと思ったものだ。
なぜなら、矢口のミニモニ。への加入こそが、そういうツッコミ待ちのものだったからである。


もうひとつのナンシー関の限界、それは「調べること」、「データ」という問題である。
もともと、ナンシー関の出始めの頃というのは、コラムの題材とされる内容に関して、うろおぼえでも許されるような風潮があった。
資料的価値は問題とされなかったのである。
コレは同時代の人気コラムニストであった泉麻人えのきどいちろうカーツ佐藤にも言えることで、


たとえば泉麻人などは、もともとが編集者だからいろいろ調べてはいただろうが、
そのようなデータの提示よりは、盆栽を眺めるかのように事象を眺め、それにいかに「適切な形容」を付与できるかというのが勝負のしどころであった。
独自の「視点」による「形容」が、80年代から90年代はじめの「コラム」のキモであったと言ってよく、
それに裏打ちされるデータは(少なくとも読者には)軽視されていたのである(それは逆に、トリヴィアルな知識にこだわる「おたく」を敬遠する風潮でもあった)。
それと逆に、データ主義的な堀井憲一郎とかが出てくる土壌にもなってたりするんだけど。


さて、ナンシー関も、時代の変化とともにコラムを書くときに調べたり、あるいは調べていることを明示するようになっていった。
彼女の初期の傑作として「なぜ田中邦衛のズボンの裾は短いのか」という指摘がある。
こんなのはいまだに調べてもわからないことではあるが、
「わからないことをわからないままにして、想像する」というのが、私はナンシー関も含めた80年代的サブカル状況だったと思う。
大槻ケンヂなんて、ウルトラセブンの「キリヤマ隊長」を「キリシマ隊長」って書いて、編集者も直しもしなかったわけだし(まあ、オーケンの場合は何とも言えない人徳みたいな部分があって許されてるところもあるけど)。


しかし、時代はしだいにデータ主義に移っていった。それは、ナンシー関にとっては確実に時代とのズレであったに違いない。
実際、「調べること(それを明示すること)」が、いちばん輝いていた頃のナンシー関を超えていたかどうかは疑わしい。


だから、もしも今もナンシー関が生きていたら、ググれば数秒で今までわからなかったタレントのプロフィールなどがわかる時代に、彼女がどう対応できたか、あるいはできなかったかを見ることができたかもしれない、とは思う。


最後に、肝心の「ナンシー小関」に対して自分が思うことは、
・「オレンジレンジ」的な無邪気さ、屈託の無さ(と、当然そこから引き起こされるであろう受け手の違和感)
・むかし歌手の「王様」のマネで「王子様」というのと「女王様」というのがいたが、センス的にはあんな感じ


っつーくらいですかね。
あと、「グレートチキンパワーズ」に関わるすべてのこととか。
すごいヌルいレベルの「侍魂」のコラムとか。
ギター侍とか。


そういうのって、必ずいつの時代にもいるからね。
今のところ思うのは、それくらい。