追記

下の追記
ひどい文章ですいません。読みとりようによっては、私が「70年代後半から80年代初頭こそ特別」って思っていると読めるかもしれないけど、
世代的な特権性を振りかざすつもりは毛頭無くて、
当然ですが70年代の前には60年代があって、その前には50年代がある。
その「流れ」を知りたいと思っているだけです。

非モテとか言うの反対

http://d.hatena.ne.jp/maroyakasa/20060816/p2


20年くらい前、確か眠田先生の4コママンガだったと思うけど、学生服を着て馬みたいな動物が、人間の女の子にチヤホヤされてる同じ学生服を着た馬みたいなやつを見て「同じろばなのに何であいつばっかり……」みたいなことを言うと、そのチヤホヤされてる馬みたいなやつ(ろば)が、
「まだわからないのかい。きみは『らば』なんだよ」
って言われて「そうだったのかー!!」って落ち込むみたいな、そういうマンガがありましたよ。


要するに同じ馬みたいなやつでも「ろば」と「らば」ではそんだけ違いがあるという、「オタク」っていう言葉はひとつも使っていなかったけど何か当時言語化するのをはばかられることをズバッと描いていたという点で強く印象に残ってますね。
んだから「自分がモテないのはキモいからか、オタクだからなのか」っていう問題意識は、オタク第一世代からあるんですよ。


それと「萌え」問題だが、これは何度も書いているがだれも同意してくれないからもうやめようと思っているんだけど、
まず「普通人とは違ったセクシュアリティの趣味」というのは第一世代からあったわけです。
これも何度も何度も書いているけど、「美少女」っていう言葉がまず「萌え」っていう言葉よりももっと先にあって、
「美少女」っていう言葉自体、かなりのタブー感があった。


もっと前だと「ロリコン」という言い方をしたけど、今とニュアンスが違う。
たとえば「タッチ」の南ちゃんでもラムちゃんでも「ロリコン」と言われた。
今なら「二次コン」の方がニュアンスが近いかね。


それ以前の、70年代のエロの世界というのは、いわば「峰不二子タイプ」の女の子しか存在しなかった。
まああとは「清純派」って言われてたりしたけどね、でもなんか傍流っぽかったな。


そもそもが、「ラムちゃん」って原作ではアニメよりもずっと峰不二子タイプだった。
それがアニメ化されたときに、高田明美だっけ? あの人のキャラデザだと丸顔、童顔になって、かわいくなった。
だからもうマンガ→アニメだけで80年代初頭にそれだけの違いがある。この時点では確実に何かが起こっている。
その段階から見ていかないと、「萌え」って見えてこないです。


「萌え」という言葉を切り出して、何か特別なものとしたのは第二世代か第三世代、あるいはことさらにオタクのセクシュアリティに興味を持った人たちであって、それに類するものはその前からあったんですよ。


「萌え」にこだわりのある人(世代的には第二、第三世代)の人たちに「『萌え』ってその前の「美少女』っていう概念と一緒でしょ?」と聞いたことがあるんだけど、
「う〜ん、やっぱりニュアンスが違いますよ」って言われた。
だけど、私から見るとやっぱり「完全に同じ」ではないかもしれないけど「普通人」のカテゴリから見たら同じ性質の異質さを持っていると思うんだよね。


だから、若い人が「萌え」の概念を、何かごく最近のもののように思っているのは仕方ないかと思うけど、
やっぱり第一世代から似たようなものはありましたよ。


(リンク先には直接関係ない話だけど)巷のたいていの「萌え論」が不毛なのは、歴史性をぜんぜん見てないからですよ。
東浩紀の萌え論だって95年あたりから始めてるでしょ。それは確かに区切りかもしれないけど、それまでが完全にゼロでいきなりそこから何かが始まったわけではない。


で、何でそうなるのかと思うけど、私個人は少なくとも戦後の、二次元エロ史みたいのがあるとすればいちばん大きな変化は70年代後半から80年代に起こってる。
また同じこと書くけど、
この頃に「アニメ絵」っていうのが出てくる。
アニメ絵とは、個人的定義では「アニメっぽい絵」、たとえば動かすための必然的なデザインをわざわざ、止め絵の方法論として持ち込んでいたり、
あるいは色だとアニメ的な効果を出すためにスクリーントーンで「アニメのような」肌影をわざわざ付けたり、
爆発のシーンでも、実際の爆発をデフォルメするのではなく「アニメっぽい」爆発のシーンをわざわざ描いたりといったことです。


いわゆる「板野サーカス」っぽい絵を紙上で再現してみようとかね、そういうやつ。


なんでここで「紙に描かれた絵」にこだわるかというと、今みたいにCGとかアイコラとかGIFアニメとかぜんぜん気軽にできないわけです。
アニメが好きだということをいちばん手っ取り早く表現するのは、アニメそのものをつくるよりマンガを描くことだった。
(それ以外に「評論を書いたりデータ集をつくったりする、という行為があるけどそれはまた別の話。)
で、マンガ絵というのはアニメーションとはちょっと別な進化の仕方をしてた。


そして、「アニメっぽい絵のエロマンガ」が初めてこの頃出た。
それと同時に出てきた概念として「ロリコン」があった。
それまでの「エロ劇画」のコードというのはそれなりにカッチリしたものがあった。
絵は当然劇画タッチだし、
扱われる題材も、ロリータものや女子高生を扱ったものもあったが今見るとなんか「恐い」感じの写実を目指したものが多かった。


それが、70年代後半から80年代始めあたりからパラダイム変換が起こって、「アニメ調で少女を扱ったエロマンガ」が出てきて、
一般のマンガでもアニメっぽい絵を描くマンガ家が出てきて、その中のちょっとエッチな描写とかも同時代のエロマンガに近かったりした。


この変化はものすごく大きかった。
ところが、若い人に聞くと何となく、80年代のアニメ絵も、95年頃あたり以降の「萌え」的な絵と比べると劇画っぽく見えるらしい。
だからあまり変化を感じないのかもしれない。
たとえばあれだけそれまでのマンガと落差を感じた内山亜紀の絵なんかも、今見るとけっこう劇画っぽかったりするしね。


で、そういう「絵柄の変化」は、オタク第一世代という人たちが出現するのとほぼ時期的には一緒なんですよ。
だから当然そこには「そういう絵はイヤだ」とか「大好きだ」とか「やっぱりやめろ」とか「キモい」とか「キモくない」とか言った話はあったと思うんだよね。


えーと、何が言いたかったのかな。
整理すると、まず第一世代が萌え以外のオタクであるという解釈はしない方がいいと思う。


あと唐突な結論だが「非モテ」とか言っても仕方ないと思う。
「オタク」っていうことに誇りが持てないなら、何か別の概念を自分でつくり出せばいいと思う(それが「非モテ」というものかもしれんが)。
何だっていいと思うんですよ。そんなのデッチ上げればいいんだから。


唐突に終わる。