お笑い評論は可能か

http://d.hatena.ne.jp/toronei/20070509/T


最初はどうでもよかったんですが、数日経って気になって「検索ちゃん」の品川発言を観ましたよ。
まあ、品川ならこういうだろうな、っていう想像どおり。
土田も想像どおり。
太田も想像どおりでした(笑)。
でもどうなの? この切り取った部分だけだと、太田は「かみさんにだけは否定してほしくない」というのがあるということであって、批評されたり批判されたりすることは否定していないのでは?(違うのかな。よくわかんない)


リンクされた岡田さんの日記(2003年3月10日)、「アニメ評論はアニメの発展のためにあるのではなく、それそのものが作品である(大意)」というのは、
文芸評論では当たり前のことなんだけれども、サブ・カルチャーの分野ではなかなか勇気がないと言えないことではある。
というのは、サブ・カルチャーにおける「評論」というのが、レビュー、もっとぶっちゃけて言うと「提灯記事」の発展形として受け取られてきた感があるからなんだよね。
(まあ、本当にコアなファンは評論も評論としてきちんと受け止めて読んでたとは思うけど、やや薄い層にとっての存在価値はそんな感じだったと思う。)


そうでないと「評論」単体ではなかなか成立しにくかった。
(また、海外の小説や映画を観ていても評論家が悪役、憎まれ役として登場することが多く、そういうのしか観ないで来た人の中には「評論家は寄生虫」っていう考えが刷り込まれているかもしれない。)


で、「評論は作品」とは言っても、育ちやすい分野と育ちにくい分野がある気はする。
小説、映画、音楽の評論がポピュラーで、マンガがそうでもない(最近は夏目さんとかいるんでちょっと変わってきてるけど)っていうのは、
何よりも「レビューの必要性」があるかないかというのが大きい。
小説は読むのに時間がかかるし、映画だってロードショーで1800円、CDだって買えば3000円。
だからこそ、「中身はどんなだろう」という判定の一手段として「レビューを読む」という行為は普通の人でもわりと当たり前に行っている。
そういうのがあると、「評論」を読むのにも多少抵抗は薄まるかな、と思う。
しかし、マンガの場合はヘタをするとレビューを読むより実物を読んだ方が早い場合もあり、
他のジャンルのものに比べて値段も安い。


そうなると、レビューの必要性があまりない。
だから、「マンガ評論」はあるけど、「で、マンガ評論って何のためにあるの?」みたいな疑問がいまだに、マンガファンからも出てくることになるし、マンガマニアでもマンガ評論を読んでいるとはかぎらない、ということになる。


お笑いはどうか。
これは正直、どうなのかよくわからん。「演芸評論家」という人は過去にけっこういたと思うんだけど、土田がああまであしざまに罵るということは、そういう先達との接点がまったくない、ということなんだろう。
(確か山本マスヒロは、もともとグルメな評論家になる前は演芸評論家だと名乗っていたはず。)


「お笑い」って、2000年頃からのブームになって初めて思ったけど、いつの間にかそれぞれコミュニティができちゃってて、それ以外とはあまり接点がなかったりするんですよね。
まあ接点がないのはどんな社会でも仕方がなくて、またマンガにたとえると手塚治虫の葬儀のときに、少年ジャンプの編集長と加藤芳郎がケンカして、加藤芳郎が「少年ジャンプのマンガは汚い」って発言した、って事件がありまして。
あれなんかは「手塚」という接点はあっても、「ジャンプ」と「加藤芳郎」は同じマンガでも業界としては何も接点がなかった、だからケンカできたというのがあった。


それとおんなじで、おそらく上下関係の厳しいであろうお笑いという世界で、「ボクのよく知らないところで知らない人がなんかやってます」みたいな発言をときどき聞くんだよね。あえて上に噛みつくというのではなく、本当に知らなかったりする。
(土田は小林信彦とか、知らないのかな?)
でもそういうのは狭い世界なんだし、しかも相手が年上の場合もあるんだから、やめた方がいいとは思います。
単に人の顔色見てものを言っているみたいで、カッコ悪いもん。
そういう私も、昭和40年代前半から30年代のことになるとまったくわからないんだけどね。


それともうひとつ、ネット社会になってからの「お笑い評論」についてなんだけど、
少なくともネットで「お笑いについて文章を書く」ということは、もう止められないでしょうね。
漫才は3、4分で見れてしまうし、ユーチューブもあるからどうなのよとも思うけど、
一方で「一度逃したら二度と観られない、あるいは観るのが非常にむずかしい」一過性のバラエティ番組みたいなものもあるから、
レビューとしてのニーズは読む側にもあると思う。


それと、関東と関西での温度差も、ネットでしかわからないところがあるから、ネット上のレビューとか速報とかっていうのは、今後とも続いていくんじゃないかと思いますね。


後は岡田さん的な定義で言えば「作品」として昇華できるかどうかなんだけど……。
タイトルは忘れてしまったけど、確かモーヲタの人たちが数人で、長文のレビューサイトを立ち上げたことがあったんだけど、かなり短期間で瓦解してしまった。
まあ内部事情によるものか何なのかはわからないけど、ネットに長文はなじまない、ということがネックになるとは思う。
ただ、ネットで文章を書き散らかしている人が、著述家になってきっちりしたものを書く可能性は今後出てくるでしょう。


それと「作品としての評論」が、素人レビュアーの裾野の広さと呼応するかどうかというのは実はわからなくて、
またマンガの話になるけど近年の、マンガ評論、あるいはマンガ関係書籍のほとんどは「ネット」とは取り立てて関係ないところから出てきていることは確かですね。中野晴行とか。ブログで仕事が増えたらしいた近年のたけくまさんは、「マンガ評論」とはまた別の方向性だと思うし。


まだもうちょっと書くことはあるな。
たぶん、2000年からのお笑いブームでお笑い志望者も激増したと思う。
ということは、あまりこういうことは書きたくないけどやまほど挫折組が出るということですよ、今後。
しかも、そういう人たちはNSCとかを出て、基本も知ってるし自分も舞台に立ったり作家的な勉強をしたこともあると。
そうなってくると、そういう人たちの中から大量に「観る側」に回って何かを書き出す人が増えてくる可能性はある。