あいぼん解雇

http://www.helloproject.com/newslist/kago_0703261829.html


・第1部
「事務所の管理が甘かった」という意見もあるけど、そんなの内情がわからない以上、知りようがない。
「加護がファンを裏切った」という意見もあるが、それだってあらゆるアイドルが裏で何をやっているかわからない以上、加護ちゃんだけを断罪するわけにはいかないだろう。


自分がこの件について心配なのは、
「あー、やっぱり『アイドル』っていうイメージはダメなんだね、世の中に『いらない』ものなんだね」と世間が思うということだ。
どういうことかというと、


大塚英志だったかササキバラ・ゴウだったか忘れたが、かつてのアイドル・岡田有希子の自殺について、
「生身の女の子に『アイドル』というイメージを押しつけすぎたからではないか」と、「アイドルというイメージを押しつける人たち」を批判していた記憶がある。
岡田有希子本人が何を考えていたかわからない以上、センシティヴすぎる意見だと思っていたけど、
実際、80年代アイドルの管理のされ具合を雑誌とかで読むとけっこう引くものがあるのは確か。


榊原郁恵が「自分が事務所に訴えたから寮に電話が入るようになった」とか言ってたしね。それまで電話も自由にかけられなかったのかよ、という。


(今、急に思ったけど、一種の逆説、ヤケッパチみたいな感じでアイドルそのものがラディカルだ、と主張していたかのような中森明夫と、生身のアイドル自体そんなに好きでもなかったみたいな大塚英志はこういうところでも対立してたんだな。まあ若い人にとってはどうでもいいことですが。)


普通に考えて、そんな生活3年くらいが限度だろう。80年代アイドルも絶頂期は3年間くらいしかなかったと記憶しているし。「若い頃の数奇な体験」としてアイドル時代を自分の糧にして、その後の人生を歩むにしても3年くらいがいい時間だ。


加護ちゃんも、その前に男女交際が問題になった矢口も、その3年を超えて「アイドル」やってたわけで、
喫煙は犯罪だから悪い、としても、もうすぐ20歳になるであろう加護ちゃんが男と温泉行こうが私は別にかまわんと思うんですがね。


で、そうは言っても、自分は「アイドル」という「イメージ」はあってもいいと思うんだ。
そのイメージを押しつけることそのものが、人間疎外だとかは思っていない。
「事務所の管理能力なんて部外者がわからない」と書いておいて矛盾するようだが、大文字の「アイドル」がどうのこうのというより、業務上の機微だとか、もっとテクニカルな問題にレベルを下げて見たい、というのはある。


なぜかというと、「アイドル」を欲する人間は弱い人間だからです。
だから「アイドル」というイメージ自体はあってもいいと思う。ただ、その役割を担う人間が生きやすいようにした方がいいんじゃないか、というような雲を掴むような提言しかできないんですけどね。


・第2部
加護ちゃん個人に関して思うところは後ほど書くことにして、「アイドルというイメージ」という問題について話を進めたい。
それは「アイドルというイメージ」そのものが、旧態依然としたものだからだ。
消えゆく存在なのですよ。


だって倖田來未みたいのばっかりでしょ。どうせ今後出てくるのは。


モーニング娘。ハロプロファンにしたってさ、杉作J太郎掟ポルシェを除いて、BUBKAでいろんな論陣を張っていたような人たちは、「アイドルとしてのモーニング娘。」を認めたわけじゃなかったわけじゃないですか。なんかもうちょっとカッコいいものだと思っていたんでしょ。
だから具体的に書くと、ビバ彦氏なんかはもっとも旧態依然たるアイドルイメージで見られがちな加護ちゃんや、「辻加護」というくくりに関しても「意地でもアイドル的観点からは見てやるか」っていう気持ちが「W」発足当時から見えてたしね。


でも、大勢としてはハロプロはどんどんベタなアイドル的な路線に流れていった。
で、矢口の男女交際の件が発覚したときもそうだったけど、もう「アイドルはつとまって3年」という私の無根拠な基準からしても、一般常識からもちょっと事務所側の裁定に関して無理があるレベルに来ているでしょう。
矢口が娘。を卒業したとき何歳だっけ? とにかく「男と別れろ」とかさ、およそナンセンスだってアイドルに興味がない人たちはみんな思ってたんじゃないの。


それでも、自分は「アイドルというイメージ」が芸能界に存在することは保持したいんですよ。
たとえば二次元美少女しか興味ないとか、そういう人の方が先鋭的なのかもね。そういう「イメージ」を保持したいと思っている人の中でも。
生身の女の子に負担がかかるものでもないし。


だけど、人間、前衛か保守か、っていう二元論で生きているわけじゃなくて、グラデーション的に無限の立ち位置があるわけで、
私個人としては「先鋭的だからOK」とか「保守的だからOK」ってのはない。
それよりも「中途半端なもの」を無くしてしまうことに危機感を覚えるんですよ。
そしていわゆるアイドル、とくに女性アイドルってそういう「中途半端なもの」だと思うんですよね。


今どき、アイドルが「初めてキスしたのは飼い犬です」なんて、だれも思ってやしないですよ。
でも、自分はアイドルが給料もらっている以上、それは貫くべきだと思う。
それはプロレスラーが「本当は私は弱いです」って言っちゃいけないのと同じですよ。


でも、でもですよ、ひるがえるようだけど、「私はウンコしません」って宣言するアイドルが、本当にそんな禅寺の坊主みたいなストイックな生活を送るべきかというと、それも違うと思う。


本当は、マンガみたいに「アイドルがぜったいにパパラッチに見つからないように男女交際できる秘密クラブ」みたいのを、芸能事務所が金出しあってつくればいいんですよ。っていうか、そういうところ本当にないんですか?


ということで、加護ちゃん本人のことより自分の言いたいことになっちゃいましたが、中途半端こそ愛する私としては、どこかで思いきれない弱い人間のイメージを保持することも、公共の福祉だと思っています。


・第3部
加護ちゃん本人について。
自分には一個人としての加護ちゃんの内面はわからないし、十代の子の感覚もわからないから彼女が本当に自覚がなかったかどうかはわかりませんね。
それと「W」がもう観られなくて残念、という意見もあるけど、
「W」の売り方だって事務所側はけっこう片手間だったでしょ、っていうか前々から不満があった。


たとえばファン層の違うBerryz工房とツアー回らせて単独ライブが無かったり、
愛の意味を教えて!」なんかはあきらかに宣伝不足と思えたし。
なんか「微妙な鉄板ユニット」として便利に使い回されてるなあ、という気がしていて面白くなかったから、「適当な売り方としといて謹慎だけはこんなに厳しいのかよ」って思ったのは正直なところ。


そういえば矢口もそうだった。中間管理職的な、なんか「支店立ち上げ専門であちこち回ってる敏腕社員、でもボーナスちょっとしかもらえてなさそう」みたいな扱いにしておいて、小栗旬との交際が発覚したらあっさり卒業させられたりとか。


あと、私は推しメンは辻ですが、「加護の謹慎で宙ぶらりんになっていた辻の歌の面での方向性が定まり、ソロが決まれば嬉しい」とかはぜんぜん思いません。「辻加護」というコンビそのものを神聖視する気ももはやないんですが、ただ、
「世界の終わりはメソメソとやってくる」
という言葉を思い出すしかないですな。旧態依然たるアイドル路線に戻った日本唯一のメジャーユニット「モーニング娘。」が、ひとつだけポスト・モダン的なのはこういうグダグダな崩壊の仕方をする、ということだよなあ、と思った。