「夢の中」

まあ、どこでどんなふうに話題になってるのかとかは実はわかってません。
ただ、巡回先でいろいろと取り上げているのを読んでいるというだけで。
基本的に2ちゃんねるとか見ませんしね、娘。に関しては、こう書くと意外に思われるかもしれないけど、「界隈」的な話題は時間的にも情報収集能力的にももう追っかけきれないのはわかってるんで。


で、これはオタク全般に言えることだけど、知らないより知ってた方がそりゃいろいろ楽しめますよ。
「オタク」っていうのはそういうもんですから。


ただ、必ず「知らないからどうなの?」っていう人も出てくるし、これは「夢の中」の話ではないですが(そこんところ誤解しないでねマジで)、ある事象に関して「知らないやつはモグリだ」的な言い方をする人が出てきてムカッとしたりね、そういうこともあることは、ある。


たとえばですね、学問の世界で、ようわからんけども日本近代文学の研究者で「夏目漱石読んでません」とか「芥川龍之介読んでません」とは言えないと思うんですよ。
それは、「文学」という知識大系が、「まあまあ、この辺のアウトラインを掴んでおくべき」というものが確立され、かつ権威化されているということでもある(この場合の「権威」というのは決してマイナスの意味ではありません)。


だけれども、オタク文化というのは大系づけられていなかったり、何の権威もなかったりするから、知識の大小に関するヒエラルキーが、いい意味でも悪い意味でも確立されてない。
すなわち、特定の物事を知っているか知らないかで、どんなジャンルでもときおり「これを知ってるか知らないか」という齟齬というかギャップは起こってしまうんですよね。


とくにハロプロ関連は裾野も広いから、そういう食い違いは起こるとは思います。


私が考えるに、オタクっていうのは「知識に敬意を表する」というゲームの一種だと思ってます(「ゲーム」っていうのも、マイナスの意味ではないですよ)。
別のことで考えてみればわかりやすいですが、たとえば柔道の強さを自慢しあっているときに「どんなに柔道が強くても、拳銃で撃たれればあんた一発で死ぬよ」とか言われたら、その場はドッチラケでしょう。
それはその場が「柔道が強いほど偉い」というルールのもとに成り立っているわけで。


私も、いちおうファーストアルバムは持っているんで、「そうか、『夢の中』か」と思ったら聞き直そうと思ったし。探し回らなければないたぐいの音源でもないしね。


実は、1回聞いただけで忘れてたんだよね……。すいません。


でも、「アレは知っておいた方がいいよ」っていう言葉は、聞いておけばぜったいいいことあると思うし、もし聞いてみてもピンと来なかったら、それが自分なりの「考え」を確立する契機になると思うんですよね。


ファーストアルバムに入っている曲を知ってた方がいいよ、っていうのは、オタク的知識としてはかなり普通の方だから、それは知らないよりは知っていた方がいいと思います。


こっからは話がそれるんだけど、手に入れようがないものとか自慢されると困るんだよね。
スペル星人とか。
でも、スペル星人はまだ封印作品としての意義もあるけど、どんどん行っちゃうと「巨大グラビアクイーンの襲撃」とかね。そんなの見てどうすんだっていうのがあって。私も見たことないよ。
昔の映画秘宝で、この作品だったか別のだったか忘れたけど、「見てみたい。見て、友達に自慢して、『ああ、あれ? 見たけどつまんなかったよ』って言ってみたい」って書いてあったけど、ああいうね、まあ退廃的だけども、ああいう心理はわかるし、それは基本事項を抑えた上での別段階の話なんだけど、そういうのに対して「それがどうしたの?」っていう態度をとれる人は、やっぱり性根が普通人というか。


この「知ってる知らない問題」っていうのはなかなかむずかしくて、たとえばクリエーターでも「影響を受けちゃうから他人のつくった曲を聴かない」っていう人がいる。たぶんウソだろうけど(と決めつけちゃうけど)エイフェックス・ツインなんかはある年齢まで何も音楽を聴いてこなかったというのがウリだったりして。
逆に、すべてを知っててドロップする人もいますし。


その辺に関しては人それぞれなんだけど、ただここらあたりも「知識」に対するスタンスをややこしくしている一因でもあると思う。

ミキティ樽化?

ちょっと水着ショットを見たけど、私はあれはないと思う。いいのかあんなんで。
そもそも「樽」っていう概念があまり好きじゃない。そんなデカダン的な(ここで「男の欲望に合わせて肉体を改造していく行為自体が「纏足」的であり、そっちの方がむしろデカダンだ、という意見は受け付けません。人間、だれしも何かの型にはめられて生きてるもんだ)。


水着になる人は、それでメシ食ってるんだから何とかしてほしいです。