永遠に自分の中で調整の日々
3、4年前から、雨の日になると極端に気分が沈むようになった。
20年くらい前はそんなことはなかった。しかしあれから20年か……。本当に衝撃的な話である。
東京の気候は、身体感覚だけで言うと本当に変わってしまった。と、同じことを何度も書いてますが。
下のエントリを書いた後に思ったのだけど、自分はこれからもずっと、「そこまで極端に言うことはないんじゃないか」とか「そういう考え方もあるけど、こういう考え方もあるんじゃない? 微妙な違いだけど」とか、そんなことばかり書いていくつもりなのだろうか。
そんなことはどうでもいいんじゃないだろうか。
少なくともネット言説では、中途半端な立ち位置のものは必要がない気がする。
盗んだバイクは壊れてた
複数の巡回先で、この記事に対して反発とともに取り上げられていたので私も乗らせてもらいます。
まあ、確かにこういうのって、教科書でやるとか授業でやるとかいう時点で神通力が失せてしまうよね。
授業で取り上げること自体、シラケますね。
そもそも、尾崎が全盛の頃から「若者一般」というくくりは無効化してました。すなわち、尾崎現役の頃に彼を支持していた「若者」が、「若者一般」であるかというとそれは明らかに違っていた。
そしてその頃、「尾崎の曲」が「若者一般(とその反抗心)」をわかりやすくとらえられるケースとして都合よく見られていたことも確か。
しかし、それと「それでは本当に尾崎は若者を代弁していなかったか」ということとはまったく別の話で、彼のCDを買った人間でかなり本気の人たちというのは、確実に何十万人かは存在していたでしょう。
必要なのは、その辺の流れを把握して現在までつなげて解釈することだし、学校の先生も香山リカも、その辺のことをしてほしい(しているのかもしれないけど)。
尾崎の魅力は、よくも悪くも彼がある程度「お坊ちゃん」だったことで、だからこそ永ちゃんや長渕には入り込めない少年・青年層を取り込んだ、ってのがあるかもしれない。
しかし、そのお坊ちゃん性ゆえに、現在の若者がピンと来なかったりもするんでしょうね。
でもそれも、伝え方がまずかったりするんじゃないのかなー。
「お坊ちゃんがイライラして、どうにもならなくてつくった曲ですよ」って背景を聞けば今の若い人にもある程度の共感は選られるかもしれないですよ。
そもそもが、「最近の若者は反発心がなくなった」って、香山リカが46歳だっていうけど彼女の若い頃から言われていたことだしね。
だから、大切なのは、いつも繰り返し上の世代から若者が何か言われているとして、それのどこが過去と同じで、過去と違うのかを考えることだと思います。
それともうひとつ、ヤンキー文化が大っ嫌いな人が尾崎も永ちゃんも長渕もヒップホップもみんなまとめて「ケッ」みたいな扱いをするときがありますが、それはちょっとどうかと思います。
そういうのを全否定すると、どこかでぜったい逆襲食らうと思うんですよね。
オウムが90年代前半に変な感じで育っていったみたいに。
- アーティスト: 尾崎豊,YUTAKA OZAKI&HEART OF KLAXON
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