キン肉マンとmixi

なんだか最近、mixiまではじめてネットのやりすぎというか、MLをいくつも見て自分の本サイトも管理して、って、我ながら三十過ぎて何やってんだって感じです。
もうちょっと何とかしますよ。大人だから。


今、文庫で「キン肉マン」読んでるんですが、これはあれですね。本当に理想郷というか。
「正義」と「悪」の役割が何の躊躇もなく描かれているし、友情パワーも前面に出されてて。


キン肉マンの連載された80年代というのは、今よりも「パロディ」的手法が戦略的に用いられ、また注目された時代でもある。で、キン肉マンほどジャンプ連載作品の中でツッコミどころのあるマンガもなかった。そして、当然そのスローガンである「友情、努力、勝利」もパロディの対象となった。


でも、mixiをよく「馴れ合い」って言うでしょ。それでネット上で「馴れ合い」っていう言葉をよく目にしてるなあと思ってたんだけど、「キン肉マン的友情」っていうのは、戦いを通してはぐくまれていく戦友的な感情で、そういうのがパロディの中で当時「あるわけない」って言われていたのはわかる。


しかし、現在聞く「馴れ合い」っていう言葉って、普通の、学校の友達同士の友情というか、自分たちの友達づきあいのことを「馴れ合い」って言ってるわけでしょ。
キン肉マン的友情をパロディにするというのは、「そんなのあるわけない」というあきらめややっかみが心理に入ってたけど、現在は自分自身の日常的な「つきあい」に対して「馴れ合い」って言葉をあてはめちゃうんだね。


それってすごい不信感というか、まあ「不信感を持っているふりをしたい」っていうことだと思う。
だって、馴れ合いだろうがおつきあいだろうが、そういうのがないと人間生きていけないんだよ?
そこまで言い切っちゃう人って、いったい何をよりどころにしているわけ?
まさか男女の愛とか言うんじゃないだろうね?
(そこまで「馴れ合い」というなら、その徹底性は認める。)


そんなにだれもが顔に薄笑いを浮かべて「馴れ合い」って言ってるような状況じゃ、なんとかもえ(「負け犬の遠吠え」の酒井順子の友人、ちゃんとした名前は忘れた)も自殺しちゃうってもんだよ。
独身を通して、安心してトシとれないもんな。
老人ホームでも顔に薄笑い浮かべられて「馴れ合い」とか言われたら、そいつ殴っちゃうよ。杖で。


まあ、80年代にもいろんなことに腹を立てていた記憶があり、それらはみんな「許す」ということで許してきたんだけど、もっと年月が経っちゃうとまたあきれるような言説とかが出て来るということなんだなあと、客観的に思うのみなんだが。