メモ書き〜ヤンキーマンガ

ヤンキーマンガの面白いところは、「政治」を描きながら、過剰に「人情」に傾いているところにある。
政治ってのはアレですよ。「クニミツの政」とかそういうことじゃなくて。
不良グループ内のパワーバランスとかね、そういう「政治」を描いているんだけど「政治そのもの」ではないのね。
タイマンで勝負つけたり、半殺し覚悟で乗り込んでいったら許されたとか、現実にはありえないことが「政治」の決着の手段になっている。


これはまあ、悪い言い方をすると現実的ではない。
だが逆に言うと、エンタテインメントっていうのは基本的に政治というか冷徹なシステムにいかに「人情」が切り込んでいくか、というところに面白みがある場合が多い。まさに「義理と人情をはかりにかけりゃ」ということだったわけ。
現在、ヤンキーマンガ以外のマンガがあまりにも「システムの維持」に重点を置きすぎていると思う。
そういうバランスの悪さがある。


何の根拠もあげていないので、本当にただのメモ書きなのだが、この「ヤンキーマンガとそれ以外」の乖離は深刻だと思っている。なぜ「人情」の部分をヤンキーマンガばかりが引き受けねばならないのかには、一考の価値があるだろう。


それと、「一般庶民は人情をありがたがるもの」であるかというと、偏微分的な変化かもしれないが、その辺はブルーカラー寄りのエンタテインメントも変わりはじめていると思う。
これもまあ今のところ根拠薄弱なのだが。


たとえば「ミナミの帝王」は、借金にまつわる人情ばなしとも言えるのだけど、主人公の萬田のキャラ設定は「ゴルゴ13」。決して「ブラックジャック」ではなくて「ゴルゴ」なの。
ミナミの帝王」のパターンとして、借金で困っている人にある程度の援助やアドバイスをしてやり、「な、なんでこんな私にそこまで……」とか言われると「その方がこっちは返ってくる金がでかくなりま!!」とか言う。


でも、ブラックジャックは善意で治療費をタダにしたりとかもするけど、萬田って本当に金を回収したいだけで、人情的な面ってほとんどないんだよね。その他のキャラクター同士が人情を発揮することはあっても。


まあ原作者の天王寺大という人の特性なのかな? とも思うけど、何となく一般庶民も冷酷になりつつあると思います。


だからこその「莫逆家族」の重要性なんですが。