花井美里の付け乳首

http://d.hatena.ne.jp/erohen/20050224
上記の日記を読んで、思わずsabraを買ってしまったよ。で、見たよ。
あー……これねえ。
まあ、確かに、読者が小馬鹿にされてるとは思いますね。
矢部美穂の写真集に、虫眼鏡が付いてるとかいうのに近い文脈かと。
ただ、矢部美穂の場合はわかる人にしかわからないメッセージだし、虫眼鏡があってもなくても写真自体の方向性やクォリティというのは変わらないと思うんだけど、付け乳首は一瞬本物の乳首にしか見えないだけあって、非常に愚弄されている気分にはなりますな。


でもまあ、しょうがない気もする。
エロって、「何でもやっていいんですよ」ってなると、究極的には行為そのものでしかなくなると思うんですよね。
だけどもそこには必ず制約があって、その制約をどう突破するかを送り手も受け手も考える。
で、グラビアの良さっていうのはその拮抗状態から出てくるもののような気がする。
それは、言っちゃえば送り手も受け手もモデルもだれも望んでいない真空の領域というか、極端に言えばトマソン的というか、どこかからどこかへ移動するときに生じるエネルギーのようなものだから、ある種のバランスが崩れるとたやすく崩壊してしまう。


もう着エロが出てきたときにすでにバランスは崩してたとは思いますね。でも、そのバランスの崩壊というのにはそれなりの理由があるだろうから。写真集が売れないとか何とかそういうことが。
だから、花井美里が付け乳首を付けようがかでなれおんが脱いだ後にまた水着をやろうが、少なくとも見る側は黙って指をくわえて見ているしかないというか。


私お得意の悲観論ですけども。


「行為そのものに近づけろ」っていう主張はかなり通るんだよね。通るっていうか、どこまでも擬似的に「アレ」に近づいていくという意味でベクトルは決まってるし単純と言えば単純なんだけど、「行為そのものに近づけるな」っていう主張は、かたちにしにくいんじゃないかと思う。


だいたい、sabraっていう雑誌自体がどっかモテない男を小馬鹿にしてるよね(笑)。
グラビアの下の方にあるインタビュー記事みたいな部分で「萌え」っていう言葉を使ってみたり。
インタビューのヒロシ、「sabra読んでる人モテないんだろうなあ」って(笑)。


あ、LSDっていうマンガは面白いんだけどね。