アメトーク補足

80年代的な楽屋オチがいまだに全盛のテレビバラエティ界昨日の風はどんなのだっけ?


ああ、ひとつ補足しますと、「アメトーク」での「ひな壇芸人」というのは、確かにかつてのクイズ番組で一人芸人を入れておく、みたいな役割のことで、今回5人揃ったときに「本来だったら、自分たちは同じバラエティのひな壇にこういうかたちで揃ったことはない」と言ってました。今回は特別ということで。


要するに、本来は番組に一人か二人、いればいい役割ということですね。それは番組冒頭で言っていました。


それと、「楽屋オチ」の件に関しては、広くとらえて「アリものを解体する」という方向に向いているのは個人的には80年代だけではなく、テレビのお約束がひと通り揃った70年代後半あたりから現在まで、ずっと続いている方向性だと思っています。
テレビで「漫才」が「コント」よりも優勢に見えるのも、それがどんどんオリジナルを解体していく芸だからじゃないかと思うんですよね。


さらに、より正確に「テレビ」ということで言えば、「ものごとを解体していく」のと同時に「ガチ」の要素が一見正反対ですが入ってきていると思います。
「元気が出るTV」なんかは、「半魚人が出た」とか大まじめにやって、そこには視聴者の「そんなわけねえだろ」という巨大なツッコミ待ちな存在だったわけですけど、
同時に「勇気を出してはじめての告白」という、ガチだと前提にしなければ面白くないコーナーもやってた。


で、「勇気を出して……」路線をどんどん押し進めていくと、電波少年になっていくのではないかと。


ちょっと話が複雑になりますが、「既製のものを解体」というのと「ガチ」というのは必ずしも矛盾するばかりではなく、「ガチ路線」というのはそれまでの「お約束」を解体するという要素もあったわけです。
たとえば、バラエティの罰ゲームで「負けたら番組降板」としても、90年代初頭くらいまでは本当に降板させることはなかったですが、「電波少年」以降、本当にそういうことをやっちゃうようになった。


もちろん、裏はあるかもしれないですけどね。確か「電波」だか「雷波」だか忘れたけど、松村の降板は最初からそういう予定があって、カタチとして降板させたみたいにした、ということをどこかで読んだことがあるし。
ただ視聴者側へのエクスキューズとして「負けたら降板」とかを提示しても、アリにはなった。


この辺は、プロレスで言えば新日→U系→総合格闘技ブームの流れと平行して起こっている現象だと思います。


今後も、こうした「ガチ」路線と「どんどん解体していく」路線というのは、交錯したり補完したり矛盾しあったりしながら、テレビの中で続いていくだろう、というのが私の考えです。


現状のモーニング娘。なんかは、方法論としてはASAYAN時代のガチ路線がまったくなくなってしまって、むしろクイズの最終問題で逆転可能なほどの大量得点を加算してしまうようなお約束路線になってしまっているとは思います。
そういう揺り戻しもあるんで、テレビの「ガチのあり方」というのも自分としては考察の余地があるとは思うんですが。


ただ、「解体」にもスマートなやり方とか時代の流れみたいなものがあって、「うたばん」とかとんねるずのやり方は、私から見ると一世代前なんですよ。
とんねるずは自分たちだけでCDを出していたときと似たような方法論で「野猿」がブレイクしてしまったという状況があるからこそ「アリ」だと思って続けているんだろうなとは思うんですけどね。
テレビに限って言えば80年代、90年代、現在が錯綜しているのが現状じゃないかと思うんですよね。
唯一、70年代的なものがあまりテレビで見られない気がするのが残念なんですけど。


これは異論があるかもしれませんが、たとえば爆問とか5蕃6蕃の漫才って極端に言えば70年代っぽい気がするし。
あと、70年代のお笑いが好きそうなたけしが一歩引いているのも原因かなー。