紺野、小川卒業について続き、あるいはアイドルを一人の人間として見る視点について

本音を言えば、考えても仕方がないこと。
真相は、たぶん永久にわからない。結婚引退だとかであれば別だけど。
アイドルは元気や勇気を与えてくれる。
もちろん、元気や勇気を与えられるには、アイドルを一人の人間として見ないとそのエネルギーは伝わってこない。
「つくられた操り人形」だとか「適当に義務感で流しているだけ」だとか思ってしまったら、芸能一般としての評価はできるだろうけれど感動は得られないだろう。


だから、アイドルに対してマジになったっていいじゃない、とは思う。
一挙手一投足にうれしがったり悲しんだりするのは、ファンの特権である。


しかし、アイドルを一個人として見て、なおかつネガティヴな解釈をすることには何の意味もない。
いや「紺野と小川にはやる気が感じられなかった」というテキストを読んだからこんなことを書いているわけだけど、
やる気があるかないかなんて、ハタで見ていてわからないと思う。
私自身が、紺野と小川を明確に「やる気がない」と思ったことはない。
また、過去に「やる気がない人だな」と思っていたら、それが演出だったなんてことはいくらでもある。


そういうネガティヴな解釈をしても、まったく意味がない。


たとえば、明確にやる気がないとしか取りようがない発言をしたとか、態度を取ったとか、そういうこともたまにはあるだろうが、
紺野、小川に関してはいかなる角度からみても「やる気があるかどうか」は解釈のしようがない、あるいは「やる気がないようには見えない」んだからやる気があると解釈した方が妥当だろう。


むかーし、サッカー選手が試合中に笑っていたことに対し「歯を見せていた(だからやる気がない)」と批判しているのをテレビで見たことがあるが、
それだってものすごい上り調子のときなら「試合中に歯を見せるほど余裕がある」と解釈されていたに違いない。


ま、そんなことです。