ちょっとした思い出話

微妙な意味で「あの人はああいう人だから」というような変わり者というのが学生時代にはいる。「いったいこの人、将来どうするのだろう」というような人である。授業は出ない、ナリは汚い、とくに何かについて考えているわけでもない。
しかし、ときには天才的な力を発揮する。しかもしごくくだらないシチュエーションで。徹マンで脳が死んでる午前3時、まるでキム兄千原ジュニアかと思われる天才的フレーズを連発したりとか。
1年に2、3回、「この人は天才なんじゃないか」と思うときがある。


で、こういう人で「女にすぐ手を出す」タイプというのはわりとわかりやすい。周囲の理解も得られやすい。そういうタイプの「変人」がたどる人生にはいくつかのパターンがある。
ひとつは、早々に結婚して普通人になること。
もうひとつは、カミサンに食わせてもらいながら何やらアングラなことをえんえんやったりすること。
ジゴロみたいになっちゃうことはあまりない。身なりが汚いから。


「女に淡泊」なタイプは、さらに難解である。
ますます何を考えているのかわからない。
しかし、そういうヤツも結婚はする。こういうタイプは(前者もそうだが)実は普通人との生活への順応度も、意外に高いのである。
コミニュケーションスキルが高いんだろうね。
飲み屋で知り合ったおっちゃんと高歌放吟したりしてる。


まあしかし、どっちにしろ「普通人」になる確率は圧倒的に高い。
そうすると、雰囲気的にはみんなどこか寂しくなる。


彼にだけはハックル・ベリーでいてほしかった。


そんな自分勝手な感慨を抱くのである。
本当のハックル・ベリーになんか相手にしてもらえない我々が、そんな感慨を抱くのだ。


(だがネクタイしめてるくせに「おれは本当はハックル・ベリーなんだ」などと、焼酎お湯割り飲みながらわめいたりする、これこそ「学生時代の変わり者」のもっともみっともないなれの果てであろう。)


以上の変人はアッパー系な変人。さらにディープなのがダウナー系変人である。
ダウナー系変人は引きこもり予備軍だったり、非モテを主張したりする(私はしません(笑))。
しかし変人は変人だ。
そんな変人でも、恋をしたり、やっぱり結婚したりする。
そうすると、やっぱり周囲は微妙にがっかりしたりもする。


何が言いたいかというとですね、
変人だろうが何だろうが、生活の基盤というのは確保していかなきゃいけない。


それを、勝手に自分の夢(あるいは怠け心)を「変人」という他人に荷担しているくせに、いざそういう人が安定した企業への就職や結婚など人並みの幸せを手に入れる段になったら「がっかりした」とか「意外だった」とほざくなどというのは、サッカーワールドカップWBCの日本優勝に「感動をありがとう!」と言ってしまう主婦・32歳よりもよっぽどみっともない、ということなのです。


いやことさら別に私に何があるわけでもないんだけどね(笑)。


「(笑)」なんて付けてる自分が情けないが。