どうして「面白い・面白くない」のかを考えようとしない人たち

■[漫才論文]批評論:「断定」NOT FOUND-演芸雑想ノート-

あちこちの芸能関係サイトでは、気持ち悪いほどに軽率な面白い・面白くないの評論がなされているのが、現状である。無論、それ自体を批評する気は無い。雑談にケチをつけるほど、僕は心の狭い人間ではない。ただ……現実においてもネットにおいても、「面白い・面白くない」ということに厳しいのに、それがどうして「面白い・面白くない」のかを考えようとしない人間が多いという現状が、気に入らない。


まあ単純に言って、テレビで漠然とお笑いを観ている人の大半は、「水と安全とお笑いはタダだ」と思っているフシがありますよね(笑)。
タダで供給されているから、批評がいいかげんになるんだと思います。
それと、「お笑い」というものの性質もあるでしょう。俳優の「うまい、ヘタ」っていうのは二元論として割り切りにくいし、「大根だけど男前」といった価値基準も出てきますが、
お笑いの場合は「面白い」ことが大前提だからなかなかそうもいかない。


もしも劇場に足繁く通っているお客さんなら、「面白い、面白くない」で単純に割り切ってないんじゃないかと思いますよ。
もちろん、ただ「カッコいい芸人が好きだから」っていう子もたくさんいると思いますけどね。


リンク先の菅家さんには「男女の感覚の違い」という意図はなかったようですが、その他のリンク先の方々が「男女の感覚の違い」という論点でテキストを書かれているのでそれに関して書きますと、
小さい劇場を埋めているのはだれなのか、というと、女性のミーハーなお客さんの力は大きいと思うんですよ。
そこからしか上がっていけない、ということだったら目の前のお客さんを笑わせるしかないですよね。
1年に1回だけ、M-1しか観ないという男性ファンよりは、「チケットを買っている」女性が土台の部分を支えているわけで、
私が言いたいのは、
「男性はもっと劇場へ行こう。」
……ということくらいですかね。


【参考】
http://d.hatena.ne.jp/toronei/20070321/Q


あと話は飛びますが、5番6番、お笑いマニアの人の評価はあんまり高くないと思うんだけど、
この間行った「漫才バカ一代」というお笑いライブのゲストで出てきて、年輩のお客さんがいると、5番6番ってかなりの鉄板ですよ。
中年以上の人にとっては滑り知らずなんじゃないかなあ?
それで、「それは彼らの漫才が古いからだ」って言う人もいると思うんだけど、劇場にお客さんを集めたその「場」での盛り上げということで言えば確実にそういう役割は必要だと思うんですよね。
(まあ、彼らがそういう売れ方を望んでいるかどうかは別にして。)