世代論

http://d.hatena.ne.jp/nizukakotaro/20060823


「オタクが死んで非モテが残った。」というエントリをフォローするとすれば、簡単に言って、
「モテなくて誇りすらもない、だから絶望」ってコトでしょ。
だから、それはいくら何でも悲観しすぎなのでは……と思ったんですよ。


それと、オタクを三つの世代に分けることに関しての批判ですが、
勝手にカテゴライズされて面白くない、っていう気持ちはわかるけど、
そもそも、「オタクの第一世代はその前の世代とどう違うのか?」、「オタク0世代って何か?」
っていうのを考えて、批判の根拠にした方がよい。
「第一世代」というくくり自体が幻想かもしれないワケだから。
(私はそうは思ってませんが。)


それと、「モテないからオタク趣味に走る人間がいるかいないか」ですが、
私の周囲には死ぬほどたくさんいましたよ(笑)。
だけど、それは若い衆に限ったことではなくて昔からの話、ということが言いたかった。


これは本当に何度も書いていることなんですが、
仕方がない部分があって、オタク史というのは基本文献的なものが片っ端から絶版になってます。
私自身も最近になって知ったような話があります。
だから近い過去でも探りようがない、というのがある。
探りようがないから、自分自身の過去の経験から語るしかない。
経験から語ると、上の世代や下の世代と齟齬が出る。
それの繰り返しなんです。


でも、本当に第三世代以下の人は、「オタク」ではない別のカテゴリを自分たちでなんか考えた方がいいと思う。
それは「萌え」でも何でもいいけど。
だって、上の世代が考えたくくりで議論してるわけでしょ(「オタク」という概念そのものが先行世代が考えたわけだから)。

女性アイドルと萌え

ここの続き。
いわゆるアイドルヲタと、二次元美少女好きとが関係しているようでしていないような、微妙な感じなのもよくわからんことになっている原因だろう。
これも思い出しながら書いてみる。


女性アイドルの始まりというのは、確か70年代初頭、何かの本の受け売りになるがそれまでは「子役」と「大人の女」しかいないところに、等身大の「少女」の概念で売り出した歌手、というようなことだったらしい。
「等身大」と言ったって、もちろん年齢相応という意味ではなく、それは「少女」という概念の一種の偽装だったわけだけど、
私はそれは別に悪いことだとは思わない。
だって芸能人って何らかの役割を担っているものだからね。


70年代の女性アイドル歌手たちが、同性からも憧れの目で見られていたかどうかはちょっとわからないんだが、まあ男性好みというか男性仕様ということは間違いないね。
で、それはもう疑似恋愛だから「萌え」って言っていいんじゃないの、って思う。
ただ、アニメやゲーム一辺倒のマニアからすると、「肉体を持っているだけで違うんじゃねェか」みたいな論を読んだこともある。
でも自分はそうは思わないです。
だって、触れられない存在としてはおんなじことだからね(握手会とかはまた別として)。


だからかどうか面白いもので、アニメやゲームの二次元美少女と女性アイドルというのは、当然共通のファンがいるんだろうけどコラボ的なことをやって成功した例ってほとんどないんじゃない?
成功しても本当の意味での相乗効果で売れたのって見たことない。


だって「ようこそようこ」と「田中陽子」両方のファンって見たことないし、久住小春月島きらりもどうなんですかね? ちょっとよくわからん。


オタク論壇みたいなところでも、同列に論じられたことってほとんどない気がする。
リン・ミンメイってのがいるけど、あれは面白い例だったんですけどね。


でも「萌え」ということで言えばどちらも同じだと思います。


ただアイドルのファンであること、は、前述のことと矛盾するようだが生身の人間相手なこともあって、理論武装的には「萌え」なんて言わなくても対世間的には済んでいただけなんじゃないかと。
宮崎駿が「とにかくアイドルのファンとしてでも何でもいいから生身の人間との関係をつくれ、アニメばっかり見てないで」と言っていた記憶もあるので、どこかに「誤解」はあると思うね。
もちろん、それは「生身の人間のファンである方がマシ」という誤解なんですけど。


というわけで私の結論としてはそういうことなんだが、
「女性アイドル」に関しては、CDの売り上げとか数字をきちんと検討したわけではないが、広末涼子以降、失速している印象は個人的にはとても強い。
(その前に、90年代初頭くらいの「アイドル冬の時代」があるんですけど)


でも、女性アイドルが失速したわりには、アニメなんか男の子が見るものでもかわいい女の子が主役のものばっかりでしょ。
だからそれが何なのかは自分にはわからん。
「疑似恋愛願望(=萌え心みたいなもの)」の日本全体のエネルギーの総量は変わらないとして、なぜアニメやゲームの方に流れていったのか、自分にはわからん。しかし「二次元優越論」を唱える気も、毛頭無いなあ。
大胆に仮説を唱えると、「AVがあれば何もいらない」っていう一定層がいて、まあそういう人は「萌え」感情に縁が薄い人たちだとして、
後は残った人たちで疑似恋愛願望を一人ひとりがものすごく増大させている、その結果ではないかとは思うけど。


これまた前述に書いたことと矛盾するかもしれないけど、アニメやゲームの方が、生身の人間からキャラをつくるよりウソはつきやすいからね。
ウソっていうと聞こえは悪いけどキャラづくりというか。
今さら、アイドルに「趣味、お菓子づくり」とか言われてもみんな容易には信じないけど、
キャラのプロフィールでそう書いてあったら「そんなもんか」って思うだけだもんな。


逆に言えば生身アイドルたちが「キャラ」をつくらなければならくなったということでもある。
おっさんの私にとってはそれは堕落に見える。
「プレーンな男好きのする女の子像」や、「セレブリティな女優像」を前提とした上でのキャラづくり。
「意外に男の子と泥だらけになって遊んでました」とか「意外に料理もするんですよ」とか「休日は一日中パジャマでゴロ寝してます」とか。
「アイドルってウンコしないと思われているけど実はします」とか(それはない)。


仁義なき戦い」以前の任侠映画が大好きな人が、実録路線についていけないのと同じような感覚として(マジで)。


でも見ている女性にとっては一部解放に感じるかもしれないし。
それはそう思うよ、女性側からガチガチにつくられたウソ女の子像(=アイドル)を見せつけられてウゼー、と思っている人はたくさんいたと思うもんね。


そんな感じ。

今さら気づいた

ここの続き。


いろいろと寝っ転がって考えて、今さら気づいたんだけど、「名前を付ける」、「名称が生まれる」ということは、ものごとが認識されてものすごい勢いで広まるということなんだな。
で、名前が付けられる前はわかるもの同士で暗黙の了解みたいな感じで理解されていたから誤解もすごく少ないんだけど、
「名前」が出てきたとたんに「名前」だけが流通し、今度はその「名前」に意味付けがなされてくるから議論が絶えなくなるんだね。


まあそれが「萌え」というものだという話をしているんですけどね。


それと、古参オタクでは「萌え」という言葉に難色を示す人とまったく興味ない人と、積極的に乗っかる人がいて分かれますね。
それがまた若年層にとっては混乱の理由なんだろう。
でも、私が調査した中でも「萌え」を名称、概念ともに認めている人もいるし、
逆にまったく認めない人もいるね。
具体的には吾妻ひでおが「うつうつひでお日記」で「萌えなんて知らん」って言っていたけど、
逆に積極的にその言葉を使っている古い世代もいる。


あと、これは重要なんだけども古参のオタクの人で積極的に「萌え」的なものは昔からあったんだ、そういうものが好きだったんだ、って言葉で言う人が少ない。いてもあまり伝わってこない。
たとえばロリコンブームなんかでも別の文脈で語られたり、95年以降の萌えと直結して語られなかったりする。
大塚英志とか、別に心底ロリコンものが好きなわけじゃないと思うから、リビドーとかパッションで伝えているわけではないから、概念として分断されているように思われているのかもしれない。