とがりすぎてた学生時代

下のエントリでは「鳥坂センパイ」なるものを多少擁護した文章になったと思うんだけど、実体験を書いてみます。
人間、理論と実践では矛盾するという意味で。
下の文章では、私は「鳥坂センパイみたいな人も許してやりなよ」的なニュアンスで書きました。


でも現実はどうだったかというと、
私、学生時代一時期マン研にいたんだけど、
GWに合宿に行ったんですよ。
それで、ビックリしたのはOBが4、5人来てたっていうこと。
実は私、それに対してすっごいムカついてまして、
知らねーんだよ、そんなやつら!!
顔も名前も知らない。だってお互いの自己紹介の場があるわけじゃないし。


なんかさあ、カッコつけてクルマ(マイカー)で、遅れて来るじゃんこいつら。
それで夜中は飲み会でもOBだけで盛り上がって、朝飯もいちばん遅くて来て食うのさ。
なんだおまえら。描いたマンガ見せろよ!!
笑ったのは、当時のCMでくわっこいいキャリア・ウーマン風の女の人が、朝会社に行くときに異様に眠たがるというのがあって、
「社会人になると、ホントあの気持ちわかるよなー」
とか言いながら朝飯食ってんの! うざすぎ!!


なんか面白いこと教えてくれたかというとそれもなかったしね。


あと、これも前に書いたかもしれないが、マン研の新歓コンパのときに、二次会にお金がなくて行けなかったんですよ。
一年生でバイトもしてなけりゃ、そりゃ金はないですよ。
だから「すいませんけど、お金ないんで帰ります」って言ったら、
傍らにいた女のセンパイが、
「金のことなんか、関係ねぇーんだよー!!!」
ってとつぜん大声出してきた。


あのね、あなた、関係あるでショ、「お金」というものがないと、「お酒」は売ってもらえないんですよ、
と、理を解いて話そうかと思ったがめんどうくさいのでやめた。
まだしもさあ、
「金がないんなら、帰れェー!!!」
ならいいんですよ。ああ、この人はコンパを楽しんでるんだな、私は金がないから帰ります、で済むから。
「関係ねぇーんだよー!!!」ってなんだよ。どうすりゃいいのよ。


……というわけで、私はそういうマン研の雰囲気がかなり嫌いでしたので、秋頃にやめました。


まあ、でも鳥坂センパイは認めてやりたい気はするね。彼は「OBヅラする横暴な先輩」というよりは、
むしろ「花の応援団」の青田赤道に近い存在としてとらえるべきではないか? などと思うのだった。

オタクはどうして鳥坂センパイに憧れるのか?

http://d.hatena.ne.jp/toronei/20070117/S


リンク先のリンク先では「オタク間」、「サークル間」の「先輩後輩関係」、「上下関係」の中での「鳥坂センパイ」という論点が少なくないようだけど、
私はむしろ「うる星」におけるアニメの「メガネ」と同列のように受け取られていた部分もあったと思いますよ。
「メガネ」は、だれに対してもセンパイでもないし人間関係において何の権威も持ってないけど、パーマとかチビとかでの中ではリーダー格でしょ。それに教養もあるみたいだし。
鳥坂センパイ」を「空気の読めない人」の象徴のようにとらえるのはまあ当たっているけれども、先輩後輩ということを抜きにしても、ああいう「メチャクチャなことをやって人を引っ張っていく存在」への憧れはまったく絶無になったわけではないと思う。


なお、リンク先のリンク先のリンク先(ややこしい)で見たけど、「古参オタクが新参者にいばりたいがゆえに教養主義に陥っている」というのは、ちょっと違うと思う。
「オタク」そのものが教養主義だから。
実は、オタクにおける「教養主義」の限界をどうするかということは、あまり正面切って議論されなかったことは確かだとは思うけど。
その辺は「萌え」という概念が顕在化する前から、「萌え」的感覚が「ガス抜き」として機能していたりした。


つまり、知識、理論に「萌え」という「感性」を対峙してガス抜きをしていたという印象なんだよね。
逆に言えば「萌えの歴史」みたいなものがあまり語られず、「萌え」が教養として蓄積していきにくいのも、そもそもの「萌え」的感性の役割がオタクにおける知識、理論の絶対性を相対化するものであった、と考えるとわかりやすくなる。


それともうひとつ思うのは、文化系のサークルに参加するというのは、そのサークルがテーマとしていることに最上の価値を置く、という一種のロールプレイ、あるいはゲームでしょ。
でも中にいるんだよたまに、「○○ができるからって、そんなに偉いんですか!!」とか言う人。
いやだからさ、サークルの参加者はそのサークルのテーマである「○○」ができる、知っているということに価値を置くという「ゲーム」をやっているわけだから、そういうふうに言われると困っちゃうんだよね。
野球部に入って「野球ができるからって、何が偉いんですか!!」っていうのと同じでしょ。


文化系サークルの体育会系にない最大の弱点もそこで、きっちり勝敗が決まるわけじゃないから能力者の権威というのがなかなか認められない場合があるんだよね。
そんなさあ、「教養があるからって何が偉いんだ」って言われても困るよ。「教養があって偉い、というルールのサークル」なんだろうから。


要は「教養のあり方」だと思う。
たとえばガンダムでも、リンク先のリンク先のリンク先にあるように、ファーストにだって当時批判はあったし、評価が固まる前のカオスがあったわけだよね。
有名な、岡崎優版のコミカライズでアムロがギレンの演説の映し出されたテレビモニターを拳でぶん殴っちゃうシーンとかさ。
クローバーのヘナチョコな超合金もどきとかさ。


オタクは教養主義ではあっても「神学」ではないから、教養によって「ガンダム」という権威を解体させることもできるはずなんだ。
だから教養主義が悪いとは、自分はぜんぜん思わない。
ただ、そのあり方。


あと文系サークルの人間関係は個別具体的に考えた方がいいんじゃないですかね。一般論を導き出すのはなかなかむずかしいよ。