うたばん見逃しで生きたい

しまった、カントリー娘。に紺野と藤本が出た「うたばん」、見逃した。
ネットを巡回すると、けっこう面白かったらしい。
マズったなあ。


やっぱり中居がキライなのと、この番組独特の秋本康臭さがキライだからなあ。つい見逃しちゃうんだよな。


この際だから書きますが、私の歌番組としてのうたばん評価は低いです。
好きな人には悪いけど。


この番組、80年代の悪いところがぜんぶ出てるような気がする。
まあ歌番組全般が退行しているということは言えるんだけど、それでもまだミュージックステーションの方がマシでしょう。


「うたばん」はねえ、あれは80年代のランク主義から価値相対主義に移行してさらにそのなれの果てという気がする。


また年寄りらしく、70年代頃の歴史から行きます。


もともと歌番組ってのは、当然だけども人気歌手が出るものだが、実はその基準はグレーです。
現在は知らないが、「夜のヒットスタジオ」がやってた頃なんかはある程度利権化していたみたい。
いやワイロとかそういうことはないだろうけども。
「芸能人水泳大会」への参加は、「夜ヒット」出演とのバーター取引だったって、東京新聞に書いてあったし。


まあとにかく、人気者、ベテラン、期待の新人っていう構成かな。それこそ今の歌番組のほとんどがそういうふうになっている。


だけども、それが一時期、確実に、決定的に破壊された。
それが「ザ・ベストテン」、「トップテン」の出現。
とくに「ベストテン」ね。
その前に「紅白歌のベストテン」っていうのもあったんだけど、それはたいして現密じゃなくて。
でも、ザ・ベストテンのランキングはすごく厳密に思えたのね。
権威化してたし。
(今でも「オリコン」とか、テレビでもランキング番組はあるけど、視覚的にザ・ベストテンの影響力はすごかった。)


そうした「ザ・ベストテン絶対化」の中で、郷ひろみがランキング番組には出ない、みたいな宣言をしたりしたんだけども、それはまた別の話。


とにかく、ザ・ベストテンのランキングというのは絶対的に思えた。
で、面白かったのは「おニャン子」が出てきたときに、プロデューサーが


「歌にランクを付けるなんておかしい。だから、おニャン子出身の歌手を次々とベストテン圏内に入れて、順位を無効化してやろうと思ってた」と言ってるのね。


これは非常に興味深い。
おニャン子サイドが、ランキングに興味がなかったとは考えられない。
おニャン子のプロデューサーの発言は、後付けのように思える。


でも、実際「ザ・ベストテン」がおニャン子に振り回されているような状況は、一瞬でもあったとは思う。


その前に、「ザ・ベストテン」に思うこと。
その意味は、まず不透明な「歌番組」の「出られる、出られない」の基準を、少なくとも視聴者向けに開示し、解体したことにあると思う。
ともかくもランキングなわけだから。「何でこの人が出てるの?」という不透明感はかなり軽減されていた。


今でこそ、ダウンタウンがHEYHEYHEYで「何で出てくるんですか?」みたいなことを出演者に言い放つけど、そこまでは70年代、とうてい視聴者は成熟していなかったわけで。


そんなモヤモヤが、「ザ・ベストテン」では一挙に払拭された。
これはランキングによる権威づけのように見えて、実は「どうせプロデューサーの鶴の一声で決まってるんじゃないの?」という「ザ・芸能界」的雰囲気を解体していた。

ところが、同時期に同じ業界にいたおニャン子プロデューサーにとっては、そのランキング自身が権威だった。だから結果的に解体した。
これもファンの人には悪いが、次々とベストテンに送り出されてくるおニャン子たちは、さながら「新造人間キャシャーン」のアンドロ軍団のようだった。
クールに自分の持ち歌を歌って、とつじょランキング一位になり、とつじょ消えたりした。

そうやって、一時期的にではあれ、いわばアナログ的な旧来の歌番組の価値基準を「ザ・ベストテン」がデジタル的に解体し、そしてまたそのデジタル性を逆手にとって、おニャン子が一時的にザ・ベストテンを解体した。


そして、その果ての「うたばん」なんですよ。と思う。
だから「うたばん」の出演者の価値基準は、人気もあるがプロデューサーの意向的なものになっている。でもそれはもはや「夜ヒット」のようなものではなく、おそらく秋本康的な「ギョーカイ」コミュニティの基準である。
(その開き直りが、歌番組の業界用語であるという「うたばん」という言葉を番組タイトルに冠したということでもあるのだろう。)


つまり、80年代にランキング的にも、ジャンル音楽的にも解体され尽くした果てに、「うたばん」はある。そしてそれに開き直っている。他にどんなやり方があるんだよ、と。


そこが、私が苦手な理由である。
「Mステ」は、タモリという状況をとぼけることにかけては達人級のタレントを司会に持ってきていることによって、歌番組の欺瞞性を隠蔽している。
(そうでなければ、80年代半ばのお笑いブームの終焉の中から、しれっと「笑っていいとも!」を始めたりすることはできない。)


HEYHEYHEYがいちばんフラットですかね。


他のコンセプチュアルな歌番組は置いておくとして。
ポップジャム」も新人バトルみたいなことをやっていて、「ザ・ベストテン」的ランキング志向を残している。


でもきっと、「うたばん」的なやり方は正解なのだと思う。
音楽ジャンルそのものが解体しきってしまっているからだ。
「歌謡界」というのもないのだろうし、「ニューミュージック」(もう死語か)とか「J-POP」とか「ロック」といった境界線さえあいまい。
だとしたら、スタンスとしてはギョーカイを泳いできて、芸風としてはノンジャンルの貴明が仕切るのがもっとも妥当な気はする。
「うたばん」がつまらないとしたら、それはきっとファンがランキングに狂騒したり、色違いジャケで同内容のCDを何枚も買ったりすることによる罰なのだと思う。


そして、中居はオマケなのである。