対話も感情もない「萌え」のむなしさ― 犯人、楓ちゃんをフィギュア化 ―
http://homepage2.nifty.com/otani-office/nikkan/n041123.html


こういう、オタク批判的な記事が出るとみんなムッとするのはわかる。
だがこれは、大谷昭宏の問題というよりも、マスコミの(そしてそれを享受する一般大衆の)構造的な問題だ。
だから、政財界の構造的な問題である贈収賄事件と同じで、いくら批判したって絶対になくならない。
まず、その「構造」は外部から察するしかないわけだが、私の疑問点を箇条書きにする。


・オタク批判をするにしろ、なぜ「萌え」が突然始まったミュータントのごとき嗜好だと断定するのか? ミヤザキ事件との関連性は? ここ20〜30年の犯罪傾向とみてどうか?
・犯人が捕まっていない以上、想像力の働かせすぎでは? っていうか現時点ではただの想像なのでは?


……箇条書きっつっても2点にしかならなかったな。何が言いたいかというと、マスコミというのは基本的に「今起こっている事件が、まったく新しい事件だ」というふうにしたいらしい。そうとしか思えない。
だから、贈収賄事件にしても、それが常に起こりうる構造的なものだと考えずに、政治家の倫理観だけに原因を求めようとする(そうでない意見も出るが、たいてい「そういう意見もある」と片隅に追いやられる)。


今でも覚えているが、ミヤザキ事件の解説者としてよく登場していた小田晋は、ミヤザキの事件が「まったく新しい事件」であることを強調し、それがいちばんマスコミに乗った。
確かに、近年の日本犯罪史上は珍しかったのかもしれないが、では世界ではどうか、長いスパンではどうかという「普遍化」の作業がまったくなされない。


まあ、知らないのならまだいい。小田晋が「新しい事件だ」といったのは、ミヤザキ事件が異常犯罪の複合的なものだったかららしいのだが、専門的な立場から言えば「新しかった」のかもしれない。ただ、それと多面的に見たときに本当に「新しい事件」なのかは、また別の考察が必要だ。


ミヤザキの事件から15年近い時間が経過している。もしフィギュアブームにともなって「人間をモノ扱い」する傾向が事件に関係しているとしても、それが「最近」であったとはとうてい思えない。
たぶん、「そういう方が面白いから」この記事が出たのだろう。


小学生の女の子が同級生をカッターで殺した事件、あれも「子供が子供を殺す」という事件としては、前例はいくつもあったようだ。しかし、マスコミはコレを「ネット時代の新しい事件」にしようとした。
要は何でも新しくしたいのである。


オタク無理解とかそんなのはとりあえずどうでもいいが、わざと、知ってて知らないふりをしていろいろ書いているのだとしたら罪深い。


とりあえず、メディアリテラシーでいちばん必要なのは事件の「歴史性」、過去とのつながりという問題だろう。
その次に、地域性などの空間的な問題になるが、少なくともテレビに関しての偏りは看過しがたいほどひどい。