「大人買い」とは何か

ITmedia PCUPdate:本当の大人は「大人買い」ができない

なんだこの文章は。いや、ボヤキとしてはわかるよ。すっごぉ〜いよくわかる。


わかるが、このテキストには以下の2点の視点が抜けている。
・「大人買い」の歴史的視点
・「大人」の経済力について


・「大人買い」の歴史的視点
まず「大人買い」という言い方がいつ頃から始まったからだが、テケトーで悪いが記憶だけを頼りに書くなら、90年代半ばだろう。
建前上、オタクというのは学校秀才である場合も多く、したがって高収入な職業に就いている人間が多いとされていた。その収入の余剰部分を存分にシュミにつぎ込んでいるのがオタクだと言われてた。
ここら辺は、バブルが崩壊したとはいえ、「何が売れるのか」といったときに、ミーちゃんハーちゃん的な購買意欲よりも、こだわりのある「オタク」を消費者ターゲットとしたいという市場側の欲望もあっただろうし、オタクと呼ばれる世代の多くの人々が独身貴族時代を謳歌していたということもあったかもしれないし、不況とは言っても生活に直接カンケイのないものは買える(売れる)、という状況を表したものだったかもしれない。


「シュミに途方もない金額をつぎ込む道楽者」というのは過去にも存在したが、「大人買い」という言葉には多分に「子供時代買えなかったものを、オトナになってから買う」というニュアンスがある。
そこには「子供=お金を持っていない」、「大人=お金を持っている」という単純な図式しかない。そこは念頭に置いておこう。


・「大人」の経済力について
次に大人の経済力についてだが、はっきり言うと、大人にも貧富の差はあるということです。
別にねえ、妻子がいるからってだれもがつましい生活をしているわけじゃないんだよ。


「オタク」という言葉ができる前のシュミ人っていうのは、たいてい金持ちで、貧乏人には趣味っていう概念はなかったんじゃないかな。
あっても、お金のかからないものだったと思う。
まあ、没落しちゃったんだけどそれまでの贅沢が忘れられない、っていう人はいたと思うけど。
芸者遊びがすぎて勘当される若旦那とか、時代劇によく出てくる。


要するに、もともと「金のかかる趣味」っていうのは特権的なものだったの。一部の金持ちの。
それが大衆化していくという経緯があって、なおかつ独身者が増え、そのぶん余剰所得を趣味につぎこむという図式が出来ているから、「やってる人はやってる大人買い」みたいになっているけど、趣味って続けられるかどうかはけっきょく金とヒマがあるかどうかだからね。


なんか「つましい生活をしている人が大人」っていうのは、ものすごく一面的。何もかも持っている人もいるし、何も持てない人もいる。それは、大人だって若者だって、子供だってそうですよ。
私はアニメ「おそ松くん」の、細川たかしが歌っていた「サラリーマン哀歌」みたいな感じの主題歌が大嫌いで、しかもOPアニメでそのしがないサラリーマン役をあの胡散臭い、ぜったいカタギじゃないイヤミがやってるんだからさー。ふざけるなってもんだよ。
で、なんで嫌いかというと、自分だけ不幸だと思っているからなんだよね。
しかも、それを絶対と思ってて、仮想敵はだれかっていうと上司か、後は一足飛びに政府とか行政とかになっちゃう。あるいはどうせあいつは実家が金持ちだとかね。


見たくないから見ないようにしているのか、わからんけども、同じ条件でいい環境で仕事をしているやつもいるし、妻子がいてもシュミに生きているやつもいるし、要するにいろんなやつがいるってことだよ。
ボヤキは自由だけど、「大人買い」というごく単純な意味しかない言葉をとらまえて、「大人」論的なものが入ってくると、それは床屋政談に堕するからね。別にだれもがみんなつましい生活しなければならないっていうルールはないわけだから。


でも何だね。ここから先は、直接リンク先のテキストとは関係なくなるんだけど。
思うのは、「大人」の基準というのは、はっきり言って日本が戦争に負けたときから解体し続けているわけですよ。
そこから「大人」というものをすくい上げて、いろんな人が「大人」論を出してきているけど、そんなんうまくいくわけないんだよね。地滑り的にどんどんダメんなっていってるんだからさ。


そこでいちばんの基準になるのは「家庭を持つこと」の必要性(というか絶対性)なんだけど、女性の自立という観点から見ると、独身であることも子供を産まないことも選択の自由として「アリ」になるわけだから、そこで再び解体されてしまう。男社会だけならかなりのところまで有効なんだけどね。
後は、就労の義務(したがって、税金をおさめているかどうか)なんだけども、こっちはまだ言い分としては何とかなりそうな気がしている。


というのは、ニート問題において「やりたいこと、好きなことを伸ばせばいい、という教育を受けていたのに、就きたい職業に就けない」ということが問題になっているのなら、それもまた、戦後の一貫した問題だから。
要するに、現在だけの問題じゃないっていうこと。それだけ、その問題について考えている人もいるということね。


私個人の考えとしては、将来性とか安定性があれば、つまらない仕事でもみんなやると思う。
ひところ、若者は「社会の歯車になりたくない」とか言っていたわけさ。80年代終わりくらいまで。
ということは、逆に言うと「歯車でいられればずっとそれでいける」社会システムだったわけで、「歯車でいたくない」という青臭い悩みは、「うまいこと歯車でいられれば」自然に消えていったと思う。
ところが、将来性はない、安定性もない、しかもつまらないとなると、就業意欲は落ちる。


仕事は基本的にはつまらないもので、でもそのつまらなさを前提としたところに、面白さが出てくるということがあるわけで、でもその面白さを保証するのはなんだかんだ言っても給料だったり待遇だったりするわけだから。