オタク的意見の違いについて

オタクというのは常に議論をしているというイメージがあるのかな。でもいわゆる「オタクばなし」って議論とは違うよな。
まあ、深刻な議論からケンカにまで発展してしまうようなこともあるわけで、なかなかむずかしいところだが、フィールドをある程度共有していれば、ヒドいケンカにはならない気がする。
たとえばね、ウチはいちおうハロプロ日記ということになっているから、少なくとも「ハロプロが好きな人」とは合意点が見いだせる。


で、問題なのが「それほどフィールドを共有していない」場合。具体的に言うと、2、3日前にハロプロとかグラビアアイドル関連で、よく見る掲示板に明確に私と違う意見が書かれていたのだけど(そこは基本的にハロプロとかグラビアアイドルについて語るところじゃないんだけども)、こういうのって本当に困ってしまう。


私が意見を書いても物別れに終わるのが、もう書く前から分かる。私の方が黙って引き下がるというか、忘れればいいだけの話。そもそも、アイドル関連の話なんて、ほとんどの場合好き嫌いに還元されてしまうから、私の方が黙っていればいいんだけど。
でも、読んでてものすごくモヤモヤ感が漂う。
このモヤモヤは何? 言ったもん勝ちなの? 読まされたもん負けなの?


ときには叫びだしたくなるくらいイヤになるときがあるので、ボクはきっと自分がオカシイのだと思います。


で、自分がネット上で感じるオタク的ディスコミニュケーションというのは2種類ある。


・ひとつは、よく知らないで適当なことを言っている場合。
こういうのは、よく知識がないという点で揚げ足取り的な批判がなされるけど、もっとレベルの低いテキストの場合、そういう事実というか知識すら入っていない場合が多く、そうなると反論のとっかかりすらない。
単なる好悪を言っているだけなんでね。
じゃあ「それは単に好き嫌いを言っているだけだからいいんじゃねぇか」って思われるかもしれないけど、私がひと言言いたくなるときっていうのは、そのテキストに何らかの知的なものの萌芽がみられる、悪い言い方をすると半可通なわけで、それを完膚無きまでに叩きのめしたくなる衝動にかられる。
でも、相手が同じフィールドに立ってないから、最終的には「おれの好みで言っているからいいの!」というふうに逃げられてしまいそうで、ストレスが溜まる。


さらに言えば、こうしたテキストが増えた理由のひとつは故・ナンシー関の影響にある。
たとえば「小倉優子って、キャラつくってるよね。」とかの書き出しから始まる。
そんなの当たり前だろ!
後は、まあテレビで見た小倉優子の印象だけで「昨今のキャラづくりはさとう珠緒も含めてけしからん云々」みたいな。
いやまあ、それはそれでスジが通ってるんだけど、何が言いたいかというと、まず第一にナンシー関ほどのセンスの持ち主でないと、そういう直観から連想を広げていって多くの人が同意できる結論に着地できる、というのはむずかしいということ。


それと、もうひとつ重要なのは、ナンシー関も晩年はかなり調べて、データを素材に原稿を書くようになっていた。
これはかなり重要な点で、80年代から90年代への以降は「ナンシー関がデータを駆使するようになった」変化だと言ってもいいくらいだ。
まあ、それは余談だが、とにかく印象だけで書くとき、それだけの覚悟を持ってない人を見るとイライラしてくるんです。
自戒を込めますけど。


・もうひとつは、相手が知識がありすぎて、何を言っているのかわからない場合。
これは、濃いオタク感で情報の流通が激しすぎて、いつの間にかコンセンサスができあがり、門外漢にはサッパリわからないところにまで議論が上がっていっちゃっている場合。
「もう、さすがに今頃○○でもないだろ」みたいな。「えっ、何で○○じゃダメなの!?」というのが、知識がないとぜんぜんわからない。
これはまあ、私の知識不足もあるんだけど、「そうした議論がなされているコミュニティ」というのがこちらにぜんぜん伝わらないんだよね。


これも具体例を挙げていくと、何年か前だけど石野卓球が楽曲の「ハッピー系」っていう言い方がすごく嫌いだったらしくて「ハッピー系!(爆笑!)」とか書いてたんだけど、ハッピー系の何がそんなに悪いのか、ぜんぜんわからないの。
しかも、音楽雑誌じゃなくて確かTV.Bros. だったからなあ。


卓球は、音楽雑誌のレコード評で「DJならマスト」とか書いてても、いったいレコ評見る人でDJやってる人が何人いるんだ、そういう評の書き方はヘンだ、みたいなことを書いていた記憶があるから、わりとマニアックなものの裾野を広げようという意志のある人だと思うんだけど、その人にしてからがときどきわかんないこと書いてたからねえ。


それと、最後に放言を吐く人のパーソナリティの問題もあって、ちゃんと意見を聞いてくれるとかコミニュケーションをとってくれる人じゃないと、反論を書いても徒労に終わるだけだからね。
そういうことが、過去に何度かありましたよ。