自分の限界

若い頃のがむしゃらにがんばるというのは、自分のどの辺に限界値があるのかわからないままのがむしゃらだと思うんです。
で、ひとつひとつ限界がわかってくる。
次の段階で、「では、自分の限界値を理解したうえでどう生きていくか」っていうことが課題になっていくと思います。
トシをとってからもそれがない人、あるいは限界値が異常に高い位置に設定されている人(わかりやすいたとえで言えばイチローなど)を、一般的に「すごい人」と言います。


今のつんくが面白いのは、果たして自分の限界を見極めているのか、それともまだがむしゃらな状態で突っ走っているのかわからないところだと思いますね。
まあ、たまにテレビに出ているところを見ると、そうした二元論ではわりきれない複雑な状況にいるのではないかとも思われますが。
ひるがえって板垣恵介「バキ」単行本で「不自然主義」というのを唱えています。要するに、「マイペース」の正反対で、自分を無理な状態に追い込んで限界を超えようとするスタンスです。


「バキ」の興味深い点は、RPGのごとく際限なくレベルアップしていく人間像と、限界を見極めてどう生きていくかという人間像が合わせて描かれているところがあると思います。
あるはそのミックスですよね。
ジャック・ハンマーは、肉体的限界を乗り越えるために「ドラッグ」を使うわけで、そこにはあらかじめ限界を見据えた覚悟と、それを乗り越えるために一線を越えてしまい、いったん越えるとRPG的な無制限パワーを発揮するようになる。


刃牙自身も、連載当初は「相手の技を研究しつくし、練習しつくして勝つ」というふうに設定されていて、最初から無敵の技を持っているわけじゃなかったしね。


でも、私が覚えているのは、刃牙幼年編で、勇次郎に勝つためにはぜったいに日本刀と対決しなければならないと決心した刃牙が、居合い抜きの先生に勝負を仕掛けるんですよね。そのときの話。
それで、日本刀を持った先生は、気を抜いているとやられる、と身構えるんだけど、刃牙が、「自分の技で戦うしかないんでしょ」的なことを言う。
居合い抜きの先生だったら、居合い抜きで戦うしかないという。まあ峰打ちとかはできるのかな? それにしても、真剣を持っていたらそれで戦わざるを得ない。素手の技を学んでいたら素手で戦わざるを得ないというような。
同じような例だと、死刑囚編でドリアンと戦った加藤とかがそうだけど。


要するに、「自分の手持ちの何かで、戦って行くしかない」ということですよね。
これは何でもそうだけど、人生の諸問題に対して、「あれがほしい、これがほしい」といってもそれはないわけだから。


でもですね、人生そのものというのはそうすっぱり勝ち負けが決まる場合ばかりじゃないから、そういうときの中途半端さはなかなか辛いです。
もう、限界がわかっているのにやんないといけないときがある。
で、やんないと確実に自分にとってマイナスなんだけど、やればやったで何かが大きく変わるわけではない。
それが辛い。
怠けるとゼロになってしまうけど、やったからって大きくプラスになるわけではないというか。


パチンコで、小さな波が繰り返しやってきて、最終的には持ち玉が減っていくような感覚ですよ。
これは消耗戦だから辛いよ。
いわゆる中年の危機っていうのは、そこら辺にあるんじゃないですかね。


今の心境だとアレですよ。5点勝ったら7点負けて、トータルでは負けてるんだけど2点をいつかは取り戻せると思って、とった5点の方に気持ちを振り向けて、でも確実に7点はとられてるっていう。
わかりにくいですかね(笑)。


今後、こういうことをしつこいくらいに繰り返し書いていくと思います。