昔(20年くらい前)の基準で「サブカル芸人」というのを考えてみると

昨日の続き。
昔の基準で、しばらく考えて選んでみると、
松尾貴史
いとうせいこう
みうらじゅん
インリン
・あと、まったくテレビに出ない人、出たくない人、出られない芸風の人たち


……というのがわたし基準ですね。
松尾貴史は、エッセイを読んだら「パロディっていうのは風刺がなくちゃいかん」ってスゴイ力説してて、あれーテレビのイメージと違うな〜と思ったから。
「風刺に強烈にこだわりを持つ」というのは「最終的に、笑いのみを目的にするのか、社会変革の意志表明を大切にするのか」の大きな分かれ目だからね。


いとうせいこうは、「虎ノ門」などでソツのない司会をしてますが、私の世代で考えるとどう見ても「サブカルの人」です。


インリンは、これも知ってビックリしたんだけど「エロテロリスト」ってけっこうマジでやってんだよね。「政治についてどう思うか」とか語るらしいし。エロテロリストって「風刺」だったんですよ。


みうらじゅんもひとつの基準になりうると思うが、あの人のやってることって、自分の周囲の人間に対するカウンターだと思う。彼の周りに集まってきそうなタイプの人がビックリするようなことをやる。
逆に言うと、みうらじゅんのやってることの裏返しが「サブカルっぽい人」の行動ではないのかと考えている。
とんまつり」、「いやげもの」、「親孝行を流行らせる」とか、みんな東京に出てきてカッコつけたい人が目をそむけたいようなものをわざわざ持ってくるという点で共通している。
あとずっと前、「西城秀樹はロックファンか」を秀樹本人に聞いてたけど、「ポップス」の中にロックを見いだそうとするってのは平岡正明が日本史とか日本の伝統芸能の中から永久革命的なものを見いだそうとする姿勢と相似形だと思う。
(そうそう、つんくの「ロックやん」って、そういうみうらじゅん的考え以降の「思想」ですよ。)
あと、ゴジラとか集めてるらしいけどすごいロリコン嫌いなんだよねあの人。


まあ、この人が「芸人」かどうかの根本的な問題はあるにせよ。


で、これらはあくまで20年前の基準、と断り書きしたのは、オタク/サブカルっていう線引きが20年前の基準でも現在曖昧になってきているから。
広義のサブカルチャーは、「反・主流」と「非・主流」と両方の立ち位置があり、両者は曖昧だったんだけど、現在では「反・主流」が生きにくい。
んだからこの10年くらいで、「反・主流」でも「非・主流」でもない立場で面白さを獲得していた人は、「主流」か「非・主流」かどちらかに立場をはっきりさせなといけなくなってきてる。


ゴーマニズム宣言」とか、その辺すごく顕著だった。
そう考えると、オーケンとかみうらじゅんは昔ながらのいい立ち位置でずっと来てると思うけど。