ブログって何だ!

今日は、ノイローゼなのでビシビシ書くよ。


http://d.hatena.ne.jp/mhk/20050328#p1

・ページの更新しても、反応なんか何もない。闇の中にボールを放るみたいなもので、変な球を投げてしまった時に限って何かが飛び出してくる。
・それはたいてい負の利益をもたらす。
・冷静に考えてみると、更新に費やした時間、べつのことをしたほうがよかった。
・ブログで脚光を浴びてる人間って、もとから有名な人だけなんじゃないの?
・無名人がのし上がるためには、ブログがどうの以前の才能か、質を凌駕する量の更新(自分の実生活を完全に捨てて)しか方法はないんじゃないのか?
・結局、現実社会と変わらないよなあ。


「現実社会と変わらない」ってのは同感だし、ノイローゼの私としてはその後ろ向きな考えに関してもおおむね同感。
すいません、まだユリイカ買ってないんですわ。
しかしダウナーな感じのブログに関する文章はぜひ読んでみたい。


ただ、私の場合反応はわりかしありましたね。
前にもどこかで書いたけど、「ブログ」って普通人がやるもの、っていうイメージがある。HTMLとか覚えなくていいよ、っていうのが確か最初の「ブログ」の売りだったと思うし。
でも、私がネットを始めたときの考えはいわゆるブログ的なものとは違ってて、マイナーな人同士の結びつきを促進するためのツールという印象が強かった。


あくまで私見では、こっちも「ふぬけ共和国」も合わせて、数年やってみて「マニアックとそうでないのの中間」みたいなポジションではあるかと思います。
けっきょく、完全マイナー志向にも行けなかった挫折感が私にはあり、同時に一般(一般、っつってもそれなりに限られている「一般」だけど)に対しても色気があったという結果が、現在のネット人生になってます。


後は、これも前にも書いたけど同人誌をやってたりマンガを描いてたりした経験が過去にあると、ネットの情報の伝播力というのは革命的でしたね。
まあ長文を読ませるのには向かないと思うけど、ネタ的なものならその伝播力は同人誌の数百倍はあるんじゃないかな。
それでもって興味の対象は、それでもネットがコミケなどの代替物に、完全になりきれてないということになるんだけどそれはまた別の話。


……というふうに、珍しくアッパーなことを書いてみたけど、苦労は「ネットをふだん見ない人」に対するオフラインでの対応でしたね私の場合。
ネットというのは、無意識に利用者によって自分たちのルールとかモラルがつくられていくものだということを痛感しました。
方向性がないんですよ、ネットっていうのは。ごった煮的に書くとき、カテゴリ分けのシステムなんかなくても、読み慣れている人は自分に興味のあるタイトルだけをチョイスして読むんですね。
たとえば「ふぬけ共和国」でも、「ハロモニ。」の感想テキストはすべて飛ばしている人はいると思うし、興味のない人向けに「ハロモニ。」の感想テキストを私が発信しているとも思わないでしょう。


ところが、ネットを読み慣れていない人というのは、私が書くことが全部同じ方向を向いていると考える。
以前、面と向かって「ハロモニ。の感想は自分はいただけないと思う」って言われたんだけど。そんなのあんたが読み飛ばせばいいだけの話じゃん。っていうのがね、読み慣れていない人はわからない。
逆に言うと、慣れている人は無意識に自分で情報を編集してるんですよ。


あと、「覗き見感覚」っていうか、そういうのがあるね野次馬は。雑誌とか同人誌以上に。
こういうタイプの人は、自分に興味のないテーマの同人誌をあげても読まないけど、ネットに書くとなぜか読むんだよね。しかも会社のパソコンで会社の電気使って。
野次馬感覚が高いんですよ。


しかも、こっちもどういうふうに見られてもかまわないように書いてるけど、その「野次馬感覚」をバカていねいにいちいち報告してくるんだよね。
あー、だからわからない人は一生分からないんだなと。
それは、いわゆるDQN的な人が「わからない」んじゃなくて、オタク的作法がわからないんだよね。


サブカルとオタク」っていうテーマでまた書くとすると、こういう人はサブカル寄りではないにしろ、「自分はオタクじゃない」って自認している人が多い。
だからオタクの空気を読まないし、読めないんだね。
「こういうことを好きな自分が好き」っていうのはまだかわいいもんで、本当に傲岸不遜なヒトって「おれはおれだから、いかなる文化的作法も守らない」って開き直っちゃってる人だからさあ。


おっ、なんか我ながらいいダウナー方向に導けたかな。