間奏曲(インターリュード)

ジャニーズスキャンダルについての本を読んだ。
これが面白くてね。


まあ書かれてるスキャンダルがどこまで本当かは当然わからんけど、お茶の間で「空気」と化してるものが背後にどれだけ非常識なものを抱えているか、ということは、私のテーマでもある。


「テレビ」っていうのは、「世間」というか「常識」を表す装置みたいな部分がある。
「テレビ」の本音というのも、まあ大きな「世の中」一般からすれば死ぬほどの「常識」であり「建前」であるわけで。


で、確かにジャニーズスキャンダルの本を読むと、芸能界ってヒドいところだなあ、と思うけど、これは役人の世界でもヤクザの世界でも他の世界でもそうだけど、是々非々でやっていくと人間つとまらんのだよね。


ちょっと言いたいことがまとまらないけど、でも不思議に思うのは、「こういうのはおかしい」ってあるじゃないだれでも。じゃあその「おかしい」の基準は何だと。突き詰めていくと、どうにもならんところまで行っちゃうんだよな。
案外、自分が倫理的、道徳的におかしいところに、知らない間に乗っかっていたりしてね。


ま、前から言われてるけど大文字の正義がなくなってきてて(「そんなものはなくていい」という議論も含めて)。
だから、個々の立場から、自分の範囲内のことを改善要求しましょうみたいな運動論が今主流で、いろんな矛盾を調整して「これが善です、これが真実です、これが美です」っていうことができなくなってきてる。


私が嫌いな言葉に「偽善」ってのがあって。
「偽善」って何かというと、偽の善ということでしょ。でも「偽の善」って何かというと、むずかしいと思うよ。
たとえば、ミュージシャンのチャリティコンサートは偽善か? って考えると、ちょっとわからんよ。
それがどれだけ売名行為であっても、集まったお金がきちんと使われればそれは「善」にカウントしていいんじゃないのかな?


今、アニメとかマンガとか読んでるとすごい「それは偽善だ!」みたいなセリフを聞くんだけど、その場合ってのは「気持ちが入ってない」とか「効果が見込めない慈善行為をする」というような意味なんだよね。
前者は完全に、倫理とか道徳とか常識とかが失われているから出てくる言葉だと思う。
後者は、みんな低レベルのマキャベリズムに毒されているというか、他の有効な行為を圧迫しないかぎり、別にやったっていいと思うんだよ効果があるかどうかわからなくても。
他に有効な手だてがある場合はまた別だけど。


私があんまり好きじゃない山本夏彦だって、「どこにそのカネが行くかわからんけども1000円だけは毎年募金する」って言っている。「1000円」って決めるのが見識なんだけど。


そういう、その場その場での個々人の立ち位置で「善なる行為」っていうのは何なのかとか、ジャニーズとはぜんぜん関係ないところで考えてしまいましたよ。
なんかちょっとうまく書けなかったけど。


でもジャニーズが表現しているものって確実に何か「真実」が含まれていると思うんだよね。でなければあれだけ売れるはずがない。
でも、背後にはいろいろとドロドロしたものがある。
それって何だろう、って思ったりしてな。