安達祐実と井戸田結婚から連想して「お笑い」についてぐだぐだ書いてみたよ

http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/f-et-tp0-050914-0009.html


ちょうど、名古屋で公開放送されている生放送の「ごきげんよう」にスピードワゴンが火曜日まで出ていて、それを観た翌日だったのでなんだかビックリした。


それにしても、見なきゃいい、気にしなきゃいいんだけど、結婚相手がビッグネームだけに、スピードワゴンに対する小馬鹿にしたコメントがネット上で量産されて、気分悪いです。
スピワだけではないけどね。こういう場合、「知らないのに書く」、「ネタとして書く(しかもつまらない)」というのが量産されるからねえ。
さらに、今回はそういうことはないだろうけど、何かの議論が起こった場合チャート化というか図式化する人が出たり。
図式化、面白いときもあるけど、それだけで終わっちゃダメだよな。


まあ、逆に言えば、一般人が現在のテレビのお笑いブームをどう思っているかというのもあって。
おおかたは、よく知らないで小馬鹿にしてるよね。


なんだろうね。何の影響なのかな。
でも、私は「よく知らない人」が考えることはいったんは考えないといけないと思っていて、「なぜ小馬鹿にするのか」っていうと面白いと思ってないからで、「なぜ面白くないと思うのか」というと、コレは、直接問いただしているわけではないけど笑いの平板化が起こっているからではないかと思う。


で、「平板化」っていうのを悪い意味にとらないで欲しいんだけど、
マンガで言えばマンガの「文法」が現在ではほとんど決まっていて、その上で量産されている。
だから、現在50代とかの人が今のマンガを読むと、「文法」が一定しているからみんな同じように見えて、その「文法」が整理された上での変化が読みとれないから面白いと思えない、ということが起こってくる。
彼らの少年時代には、マンガのパターンが成立していない面白さがあったからね。


それが、現状のテレビのお笑いには言えると思うんですよね。
たとえば、漫才コントでも漫才コントの入り方にすごい芸人さんみんな気を遣ったりしてる。
ものすごい量の芸人の中で差をつけるにはどうしたらいいか、新しさを見つけるにはどうしたらいいか考えていると、自然と「入り方」から考えていくというふうになると思うんですよ。
で、そういうのってぼーっと見ている人にはわからないからね。


あとね、全体的に平均値が上がってるから、それが当たり前だと思っているとか、関西系のお笑いが20年間くらいかけてかなり細かいところまで全国区にしてしまったというのもある。
映画「チーム★アメリカ ワールドポリス」は、「アルマゲドン」などのベタなヒット映画を量産し続けているブラッカイマーのパターンそのものを踏襲することによって、かなり濃い目のパロディをやっているわけだけど、それはアメリカ人の映画マニアにとっての「濃い目」であって、日本人の私からするとプロットとして素で感心してしまったりということはあるんだよね。


それと同じことが、現状のテレビのお笑いにはあると思う。


関西系の、関東勢への進出ということで言うと、さんまがまず二十年間かけて「バラエティ」のかけ合いっていうものを完成させてしまったわけでしょ。
一方で関東ではたけしがいたんだけど、たけしはそういうことはしなかったし、コレには異議がある人もいるかもしれないけど、たけしってヒトとのかけ合いでどんどん笑いを増幅させていくっていうタイプじゃないと思うんですよ。
たけし軍団のやってることも、それなりにリスペクトはしますが後世にそれほど強い影響は与えられなかった気もするし(もう一方で「かけ合いの面白さ」を追及していたのは欽ちゃんだと思うけど、第一線から引いてしまった感は否めない)。
あとツービートのギャグも、老人・ブスいじりネタは除くと純粋ナンセンスなものが多くて、そういうのってテレビとかバラエティっていう観点だと継承されにくいですよね。


漫才のパターンでもそうで、すごいところに来てるんだ、って私は思うけど、「どうでもいい」って思ってる人が観ると「パターン化された中でのしのぎ合い」っていうのが見えないと思うんですよ。
それで、そういう人の目にとまるのって、本当にテレビにおけるフリークス的な存在だけだったりして。
湯浅卓とか(それはそれでいいけど)(笑)。


後は80年代後半から90年代にかけてバラエティを席巻したテリー伊東も一線から引いちゃったし、前述のように欽ちゃんがものすごい勢いでゴールデンタイムから引いていったというのも大きいし。
カトケンも最近コントやってないし、いかりや長介は亡くなるし、って東京発信のギャグってどんどん減ってきてる気がします。


とんねるずも、個人的には一線から引いてる気がするしねえ。


「バラエティ」全般ということで言うと、ここ10年では「電波少年」と「ガチンコ!」が大きいと思うんだけど、この辺になると「笑い」っていう感じじゃなくなってくる。「感動」の方にシフトしていくというか。
それで「内P」は終了するわけでしょ。


そんな中でのネタブームという気はする。東京というか全国ネットのテレビは、金はあるけどアイディアはないみたいな。


トリビアの泉」は、雑学ブームということもあるけど番組のつくり方として確実に「笑い」を志向しているということを、どんだけのヒトが気づくかどうか、とも思う。


トリビアの種」が、最近「感動」とか「人間ドラマとしてのドキュメンタリー(心理テスト的なものにおいて)」の方にシフトしているのも、どうしても感動路線へ行きがちなバラエティのパターンなのかな、ということも思うし。
(「反射神経」の説明なんて、爆笑したんだけどね。)


あー、井戸田さんからずいぶん関係ないことまで書いちゃったけど、まあいいよね。