格差社会

私はもうこのテの記事を見るのが本当にイヤでイヤで、
まあ現実逃避していると思ってもらってもいいけど、


現時点でひとつ思ったのが、
過去にも格差はあった。あるいは格差をどう乗り越えていくかという議論もあった。またあるいは、格差を格差のままで生きていこうという言説もあった。
……ということです。
そういうのを活かすのは、ハッキリ言って全共闘世代の役目ですよ。


だいたいにおいてさー、戦後間もない頃なんて国民みんなボロボロで、三代戻ればドン百姓で、高度成長期の終わりかけの頃にたぶんどういうふうな生き方があるかの選択の議論があって、
それで経済大国になる道が結果的に選ばれて、
「貧しいながらも楽しく生きていこうよ」みたいな考えはつぶされてきたわけでしょ。
もうね、そういうのは70年代後半から「負け組」の考えだったからね。
そんなのみんなわかってたはずなんだよ。


あ、ここで言っているのは国全体が沈没するかどうかという話ではなく、格差の下の立場になったらどう生きていくかという話ですよ。
それを、今さら右往左往してるように思えるよ。


70年代終わりから80年代の刑事モノの犯罪者って、要するに「格差」の下の人たちが多かった。そこに社会の暗部とかを製作者サイドが込めたわけですよね。


本当は90年代のバブル批判にも異議は少しあるんですよ。
確かにバブル経済ってのは無理があったかもしれんけど、当時はまだまだ不可視だったけど確実にあった格差を無くすとか、あるいは全員が経済的に底上げされるという芽があるって、銀行とかに関係ない人たちは大局はわからないままにけっこう思ってたと思うんだよね。
それはみんなズルいから今は黙ってるけど、確実に思ってた。


思ってたということは、格差はあったということだから。
で、そこら辺の考えというのは確実に、80年代に入ってから負け組の負け組としての思想を紡いでこなかった、あるいはあったかもしらんけどみんな知らないということが大きい。
どうしてそうなったかというと、やっぱり80年代にテキトーなことやってきたからだと思うんだよねえ。


いや繰り返すけど「地に足の着いた状態で生きていこう」みたいな考えは確実にあったはずなんだけど、
現段階ではあまり見えてない。
だから70年代後半から80年代の言説というのを、「負け組」はどう生きたかっていう観点で洗い直すという手もアリなんじゃないかと思う。