金で買えないものはあるか問題

そろそろ、ネット上のホリエ関連の記述も一巡してきて、コメントのコメントみたいのが見られるわけだけれども、
もういいかげん「金で買えないものはない」っていうのはけっこう真実だよね、みたいなコメントを、今回の事件きっかけでするのはナシにしないか。
前から言っているならともかく。
だれだって金は欲しいし、酒でも入ったらそれくらいのことはいいますわな。それは別にいいですよ。
そもそもが、無限に金があったと仮定すれば、それはたいていのものは買えますよ。
だけどそれは「魔法が使えたら?」とか「もしもドラえもんがいたら?」とかいった、無意味な話。
与太話ならいいけど、一種の逆説のつもりならそれはふだんから言われてることだから今さら聞かされなくてもわかっている。
よっぽど純粋な人以外、あらためてそういうことは言ってほしくない。


ホリエの言ったことが真実だから、多くの人が拒絶反応を示したのか(あるいは逮捕前に賛同したのか)。
たとえば「人を殺して無罪になるなら殺したい」とか、そういうレベルの話なのか。
……というと、私はそうは思っていない、という話を2,3日前からしている。


マンガや映画からしかモノを見れないから比較するけど、要するにホリエの発言というのは義理人情、慣習に縛られている人に対して冷徹な計算でコトを運ぶキャラクターが出てきたという、少なくともワイドショーレベルではそういう役割だった。
ただし、昔は人情派が主人公で計算する方は悪役だったり、あるいは主人公が「野生のカン」を持っていて無意識のうちに計算していたとか、そういうふうにごまかされてきたわけです。


そういう「ごまかし」は、ベタな物語の構造の中に必ず含まれているもので、だからワイドショーという物語の中にホリエというキャラが入り込んでくることはそれほど意外なことではない。
また、ある程度落ち着いてみるとワイドショーのおとしどころ(庶民の心の持っていきどころ)もベタなものであった。
フルタチの立ち居振る舞いも、ニュースと解釈すると腹が立ってしょうがないがワイドショーならむしろ当然のコメントとも言える。


で、ワイドショーには必ずものすごくベタなかたちで相反する真実が語られるから、「金で買えないものはない」発言に拒否反応を示した人と「そのとおりだ」と思った人はコインの裏表で、それはただそれだけの話である。


しかし、どうもそれだけじゃない感じがホリエの言動の受け手には感じるんだな。逆のことを言われて喜ぶ、みたいな。「戦争が始まる」とか「三ヶ月後に死ぬ」って言われて喜ぶみたいなさ。
そういう天の邪鬼ぶりは、かつて表面上は「庶民」にはなかったものなんだよねえ。あくまで表面上はね。
でもホンネと建前の逆転とも違うと思う。
ベタな言い方をすると、人心が荒んでいるからだと思う。


同じコメントの繰り返しになるが、もう少し赤裸々に言うと私はこういうタイプの「主張がない人間」、「こだわりがない人間」がものすごく嫌いなんだよね。
「嫌い」って認識したのは、まあ今日あたりからなんだけど。それまで興味がなかったから。


たまにいるでしょ、人の顔色見て発言を変えて、なおかつ腹の底ではどうでもいいと思っているやつ。
まあ、ホリエに関してひとつ言えるのは、「お金を増やす」のと「会社を大きくする」ということに関してだけは大きなこだわりがあった、ということはわかったから、まあ嫌いといっても中程度の話で。


どうも「金で買えないものはない」って、本気で思っているふうでもないじゃない、この人?
そういう想像力なさそうだし。


あ、それとなんで最近「金で買えないものはあるか」というどーでもいいコメントに私が反応するかというと、近い将来日本人は大多数が貧乏になって、「金で買えないものはある」って信じて生きていかなきゃならなくなる、というふうに思っているからです。
「金で買えないものはない」って言えるのは、金持ちと、将来的に金が儲かる可能性のある人が言える言葉で、一生の賃金がこの程度、って決まっちゃったら情けなくて情けなくて言えないですよ。


そういう言葉が、家庭内でタブーになっても不思議はないね。

おぼっちゃまくん (1) (幻冬舎文庫)

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