「ツンデレ」とか出てきたらもう自分にとってこの世は終わり宣言

この年になって「燃えよ剣」を読んだ。理由は、NHKで去年だか一昨年だかに新選組のドラマをやっていて、2、3回見てもだれがだれだかサッパリわからなかったからだ。だが「燃えよ剣」を読んだから、もうある程度わかる。
きっと「銀河烈風バクシンガー」を見ても、もっと楽しめるだろう。


燃えよ剣」では、大政奉還が成し遂げられた時点で近藤勇は何かをあきらめ、「おれはあきらめない」、「これからだ」と言った土方歳三とて、小説を読んでいる読者からすればもう居場所はほとんど残っていない。


ここで話は司馬遼太郎とは無関係に「五稜郭」というドラマで、土方役を渡哲也がやっていたことに飛ぶ。
ドラマ「五稜郭」において、渡哲也演じる土方歳三は、ただ単に死に場所を求めている男だった。


燃えよ剣」(と、「新選組血風録」)がおそらく、小説においては新選組を描いたスタンダードで、それは要するに時代に翻弄され、死に場所を求めた男たちの立ち姿を描いたのだと私は解釈した。


などと大げさぶったことを書いたが、話は「ツンデレ」という脱力するような話である。
ツンデレ」、興味ゼロ。何の興味もない。いや、むしろとてもイヤ。
その理由はめんどうくさいので説明しないが、初めてオタクの歴史において「いくら何でもそりゃないだろう」と思った。
結論から言うと、もう自分にとってこの世は終わりなんだなと。自分にとって、生き場所はないんだなと思いました。


「萌え」に関しては、萌え萌え言っている方が話が通じやすいことが多かったり、尊敬すべき人で「萌え」の研究をしている人がいるので便宜上使用してはいるが、
私個人としてはもうめんどうくさいのでこの言葉は使いたくないです。
「しかたなく容認している」という点では、自分にとっての2ちゃんねる用語に近い。


あまりに哀しい。なんでこんなことになってしまったのであろうか。
しかし、もうこの傾向は止めようがないだろう。
この世は、萌えとツンデレと、その逆ベクトルとしての巨大なる倖田來未に支配されるに違いない。


なにひとつ自分が求めているものではなく、その育成に寄与した覚えもない。
その代わりに、自分が大切にしていたものは無惨にも踏みにじられてしまった。
本当に、未来がこんなに不愉快だとは思わなかった。
「ひどい」とか「暗い」とかではなく「不愉快」。


私がブログやHPをやるのは、そういう流れに少しでも抵抗しようという意図が実はあったのだが、
何をやっても無駄だと悟りました。


まあいいです。「でも、やるんだよ」精神でやります。
たぶん、私が何をどうしたいのかは世界で3人くらいしかわからないと思うけど、
まあいいです。
だれもわからなくてもいいです。