おしゃれ軍としての仮想敵不在の時代?

http://d.hatena.ne.jp/headofgarcia/20060227


リンク先のコメント欄の、ずっと下の方。下から読んでいった方が早いくらいのところ。


スポークスマン的な、ブサイク軍の仮想敵としての「おしゃれ軍最前線の代表」みたいな特定個人は今いないんじゃないか、というような話で。
この辺は興味深い。


最後の砦は渡辺満里奈だったんじゃないかな、とか思ったりして。
でも、名倉と結婚して、ポジション的にちょっと別のところに行ったじゃないですか。


むしろ「スローライフがおしゃれ」みたいなことを言い出すやつが出てくるか、今いるんでしょうね。
フリーターで彼氏/彼女と同棲してて、年金も払ってなくて将来不安だけどこんなボクたちでも生きていたい、みたいな(ここで想像しているのは浅野いにおのマンガの登場人物なんだけど)。


私個人は、「おしゃれ軍」とか言ってそういう層を憎む気持ちはぜんぜんないですね。
っていうか私の年齢でそんなこと言ってたらガキオヤジですよ(笑)(注:ロボっ子ビートンに出てくるやつ)


ただし、そういう仮想敵を簡単につくれないというのも問題が複雑化するのでマズい気もします。


まあ、たとえば満里奈も関係してたけど、90年代のフリッパーズギターとその周辺とか、ピチカートファイヴとかね、ものすごい「イキってる」感じはしたんですよね。
でも人間、そういうのがないと生きていけない部分ってあると思います。ピチカートファイヴはお金があったら昔のCD買いたいです。


たとえば、レコード大量消費、サルベージとかディグとかって、普通の人はできないですよ。マネするとえらい目に会うというか、骨董品の目利きとかと同じだから審美眼を鍛えないといけないし。
でもそういうのに自分を重ね合わせていく「いきがった感じ」みたいのって、若いうちはぜったいだれにもありますから。
「DJならマスト!」とかうたってあるCD買ってみたり(笑)。DJでもないのに(笑)。
まったく逆ベクトルだとヤザワとか長渕に対する憧れとかもそうだけど。


今、そういうのないんじゃないかな?


あ、「おしゃれ軍最前線」の話と離れちゃいましたけど、
要するに「おしゃれ」って「いきがる」とか「自分を底上げする」っていう意味があると思う。
俗に言う「ブサイク軍」というのは、そこからおちこぼれちゃった人たちで、彼らの言い分というのは「自分の立ち位置をわかっている」という自意識だと思うんですが、
おしゃれ軍に「今度はスローライフだよね」とか言われると立場ないっていうか、妄想幻魔大戦がまた別の様相を呈してくるというか。


あともうひとつは、あちこちに書いてるけど倖田來未の台頭ですよね。
倖田來未はエロと大衆性、それにカッコよさを加えているから強いです。
さらには一種の新しいタイプの日本文化とも言える「ギャル文化」を背負っているから、
「今、ヨーロッパでは、アメリカではこうなってます」といった「参考文献」がない、あるいは希薄なだけに強い。


で、私個人はそれはやや大げさにとらえれば、もう海外に参考にすべき、身悶えするようなあこがれが見いだせなくなっているからではないかとも思え、
もしかして911以降の社会情勢と関係しているのではないかとも思ってます。


要するに「おしゃれ」という憧れの対象なり、仮想敵なりの像がきちんと結べないというのは、
それはそれでどんなもんだろうと思うわけです。