軍隊幻想

しかしこの「ひ弱さ」というのが実は「平和の代償」だと思うことにしたら、多少は慰めになるかもしれません。


まあ、テレビキャスターの行ってることなんてぜんぶ床屋政談、何となく間が持てばいいだけの話だとは思いますが。
これって、戦争とか紛争を経験している人間の方が精神的に強くてスポーツにも強いだろうっていうこと?
よく「チャラチャラした若者は、軍隊に入れればいい」とか「戸塚ヨットスクールに入れればいい」とか言う人がいますが、
気持ちは分かるけど一種の思考停止という気はするよ。


以前、宮崎哲弥がテレビで「韓国にニートがいないのは徴兵制度があるから」みたいなことも言っていたけど、
それもどうかなあと思うし。


こういう話題で思い出すのは、「あしたのジョー」の金竜飛戦。
過酷な減量を克服したジョーに、金竜飛が「どうして自分は減量が苦にならないか」は、悲惨すぎる戦時中の体験に原因があったとジョーに話す。
それで、ジョーがビビってしまう。


このエピソード、読み返してないんで本当にどういう意味で梶原一騎が書いたのかはわからないんだけど、
要するに戦後派VS戦中派の戦いですよね。
金竜飛は軍隊経験者ではないけど、過酷な戦争を体験した者ではあった。
実際に戦争に行っていない梶原一騎は、戦中派のしぶとさや、戦争に行っていない負い目があったと思う。
そこからこういう対立図式を描いたんだと思う。


確か、アニメでは「体験でいやおうなしに『食べられない体質』になった相手より、自分の意志と力石への思いで減量を克服した自分の方が上」みたいに思い直すことでジョーは勝つんだけど、
これっていろいろ深いよね。本当に深い。


ジョーの虚無感って、無思想だ、っていうことにもあったと思う。
第二次大戦に負けてぜんぶチャラになっちゃった感覚ね。
それで、そこから必死に自分の「信じられること」を探し求めていく。


そういう虚無感って、実感としてはオウム事件くらいまで、若者の問題意識として保持される。
もちろん今も保持されてるけど、何となく時代が1回転したような感じがあるんですけどね。


一見、単細胞のウヨに思える梶原一騎のこのナイーヴさ。
マンガで、戦後VS戦中という対立図式を泥臭く描ける、この文学青年のような青さと正直さ、
これが手塚治虫にはできなかったんじゃないかと思うけど、それはまた別の話か。


えーと、どう文章的につなげようと思ってたんだっけ。
とにかく、筑紫哲也はもともとうかつな人だけど、この人世代から「軍隊幻想(軍隊がより良き人間を育成できるという幻想)」の、裏返しのことを言っているのは問題だろう。


ちなみにウチの亡父は軍隊に入ってシベリアまで行かされましたが、
なぜか人づきあいの不器用なところだとかここ一番で忍耐力がないだとか、
そういうところは最後まであったねえ。
あとなぜか軍隊式に教育しろ、っていうことより、「昔は子供でも働いてた」ってことをよく言っていたな。
そんな思い出話。