「男の友情」とモーニング娘。

「キーワードをたどりたいだけ」というのもあんまりな気がするので、批評めいたことを何か書くことにします。
ただ「卒業に関して感動したり悲しんだりしているのに、突き放したことを書くんじゃねー」と言う人は、読まないでください。


モーニング娘。は、メンバーが卒業するときにコンサートで、現メンバーが一人ずつ、送りだす言葉を言う儀式がある。
しっかり言える者、泣きじゃくってしまう者、いろいろだがそこに感動があることは間違いない。


自分はそういう光景を見て、何に感動しているのか、と考える。
自分はかつての、マンガなどで読んだ、あるいは無条件で信じていた「男の友情」を彼女たちに投影して感動しているのではないかと思った。
今や「男の友情」とは、やおい視点やフェミニズムによって完全に相対化されてしまった(「ホモソーシャル」という概念など)。
いやそれが別に悪いとは言わない。やおい視点を否定する気はまったくない。
ホモソーシャル」という概念の提唱も、何らかの意味があるのだろう。
実際「男が男に惚れる」って、本当に性的な意味だって平岡正明の任侠の本にも書いてあったしねえ。


しかし、相対化、あるいは解体されたことは事実である。
(もちろん中学生くらいまでの男の子は今でも無邪気に信じてると思うけどね。)


じゃあ男たちが男性のタレントで似たような引退とか卒業とかがあった場合、「友情」を感じて感動するかというと、たぶんしない。
男同士のしのぎあいやドロドロが、生々しく感じられるからだし、
スポーツ選手もそうだが、なんだかもうちょっとリアルなライバル関係とかを想像してしまうんだよね。


私は女性でないから女性同士の関係性はわからないけど、男で一流の仕事をしている人は相手の仕事のレベルとかを見てもろもろ判断する気がするしね。簡単に言うと全員がライバル。


女性アイドルを見るというのは、もともと女の子をメルヘン的な見方で見るということだと思うが、そこにたとえファンタジーとしてではあれ、「友情」を加味したのが現行の「モーニング娘。」なのではないかと思う。


とくに、紺野・小川を含む五期メンは、直属の先輩に全員が驚異的なタレント性を持つ四期をいただき、時期的にも「モーニング娘。」という存在がどういう方向に向かっていくのかを結果的に決定づける役割を担ってしまった(と私は思っている)。
その重責の中に、五期メンバー特有の「絆」を感じてしまうのは、解釈として決して間違ってはいまい。


福田明日香の引退の頃は、あまりそういう要素は無かった。コアなファンは違っていたかもしれないが、まだモーニング娘。の話題が一般の人の口に上っていた頃、「ぜったいイジメでやめたんだぜー」とか言っていたのを聞いたことがある。
それは「女の子同士の集団では必ずイジメがある」という予断に基づく話であり、その頃から現在の「モーニング娘。」の関係性の解釈は、ずいぶん変わったな、と思う。


いちおう付け加えておくけど、ものすっごいコアなファンだったりゴシップを楽しむタイプのファンだったりしたら、現状で「だれとだれが本当は仲が悪い」とか知っていると思うけど、上記はあくまで一般的な話です。


失われた「男の友情」は、女の子集団である「モーニング娘。」にある(と解釈されている)んじゃないかな、というのが私の見解です。それがいいとか悪いとかじゃなくて。