コミュニティのルールと社会のルール

http://d.hatena.ne.jp/nittagoro/20060726#p3
続き。
まず「いわゆる中流以上の家庭、あるいはそういうコミュティの人たちの社会参加からはみ出した者たちが、自分たちのコミュニティで生きようとする」ということで興味深いのは何度か名前を出しているこの作品。


莫逆家族(1) (ヤンマガKCスペシャル)

莫逆家族(1) (ヤンマガKCスペシャル)


でも恐さからいったら同じ作者の「BADBOYS」の後期の方が恐いかも。これ、ヤクザ社会でやったらそれほど面白いマンガにはならなかった。「そういう世界です」で済んじゃうから。
子供たちが、自分たちルールでつくり上げていったコミュニティがどうなるかというね、そういう話だから(「グレアー」まだ読んでねーよー)。


ニセモノ師たち (講談社文庫)

ニセモノ師たち (講談社文庫)


上の作品は「いい仕事してますねェ〜」の中島ナントカ之助が書いた、自分の半生と骨董界の裏話を書いた本(自分は何度か紹介してるがどこでどんな感想書いたか忘れた)。
この中で中島は、「骨董界のコミュニティのルールは、はっきりと外部のルールに優先する」と書いている。
もちろん犯罪とか超法規的なことではないわけだけど(その辺のギリギリの部分がタイトルの「ニセモノ師」という言葉に入っている)、


中島ほどの「名士」になってしまうと、一般社会のルールも当然強く要求されるわけだが、その当たりは「自分には骨董界全体とは違う自分なりのポリシーがある」と書いていたりして、そのタヌキっぷりにウブな私は戦慄した。
また、企業の営業部門だとか、あるいは小売業とさえ商慣習が違うので驚かされる。ぜんぶの骨董屋さんがそうだと言うわけじゃないが、この中島某の書いているような商慣習で違う商売やったら、まず「ヒドい」って言われるだろうね。


十六の墓標 上―炎と死の青春

十六の墓標 上―炎と死の青春


連合赤軍永田洋子がしるした、リンチ事件の本。
実は連合赤軍事件において、彼らがコミュニティ内の独自のルールで仲間を断罪し、殺していったという事実、これが「コミュニティとそれを包含する社会」というテーマについて誤解を招く一因になったのではないかと思う。
彼らは「反社会的な集団」だからそういうことになったのだろうか。自分は、それは違うと思う。
殺人にまで至らなくても、共同体ができれば独自ルールは必ずできていくのであり、連合赤軍事件が逆に「反社会的ではないコミュニティは、まだしも『話がわかる』集団だ」という誤解を人々に浸透させたのではないか、とすら思ってしまう。
それはオウム事件も同様なんだけど。


ドリーム・キャンパス―スーパーフリーの「帝国」

ドリーム・キャンパス―スーパーフリーの「帝国」


で、「スーフリ」が、その存在自体は一見「反社会的ではないコミュニティ」。でも恒常的に輪姦とかしてた。ヤバい、熱い、間違いない、恐い。


ところで、この本に載ってたか他の記事で読んだか忘れたが、事件が大々的に発覚する前、女子学生の間で「スーフリの二次会にはぜったい行くな、一次会までにしろ」ということが言われてもいたらしい。
そんなに危なきゃ最初っから一次会にも出なきゃいいと思うのだが(笑)、そうもいかなかったんだろうか。
しかし、逆に言えば「だから言ったのに」というようなニュアンスも感じ取れる。ここでも「レイプされた方が悪い」と言われんばかりのイキフンが感じられるのだ。
まったく人間ってこわい。





他にも、コミュニティ自体の古い/新しいとか、何を目的とした集団なのかとかで個別に変わっていくんだろうけどね。
ま、人生いろいろです(投げっぱなし)。