世の中って、ホントつまんねェな

・ベタネタとしてのエロ同人
ハルヒ」は原作は「憂鬱」、アニメは第一話しか観ていない私ではある。
理由はいろいろあるが、作品のクォリティと時代性は評価しております。


で、当然エロ同人とか出るわけだけど、
ハルヒがみくるを責める」っていうのは、あまりにも元ネタそのままでつまらない。
つまらないが、バリエーションとしては真っ先に思い浮かぶパターンでもある。
だから、今後どうなるかはわからないが現時点では当然この組み合わせ、この攻め受けで出るわけだ。


……つまらん。
つまらんが、止めようがないし、「ハルヒエロ同人」としての意義はじゅうぶん過ぎるほどある。それは否定できない。


もともとのおおもとは、アニメのエロ同人というのは「およそこんな絵柄のエロ劇画があるわけがない」というところが面白かったような気がする。
ところが、20年くらいかけていろいろあって、商業誌、エロマンガ誌、同人誌の相互補完が長い長い間行われてきて、
現在のようなことになった。


たとえば、貞本ファンには悪いが「エヴァンゲリオン」を最初に見たときに「エロ同人みたいな絵柄だな」と思った。
だって本当にそういうのが過去には多かったんだから、仕方がない。


で、およそ思いつくかぎりのカップリングでエヴァのエロ同人もほとんど出た。
個人的にはつまんねぇと思ったが、どうしようもない。止めようがない。


・論争
似たようなことはネット上、あるいはネットをはみ出した議論、論争にも言える。
もはやネット社会になった以上、少なくとも私の想像する面白い議論や論争というのは存在しないだろうと思う。


かつては、それぞれの立場の代表者が論争を行っていたわけで、そのやりとり自体が時代を象徴する面もあったと思う。
しかも、往復書簡のようなかたちの場合、スピードも遅かったから読者はそこから状況の問題点を把握できた。


今は違う。あまりにも急速に炎上し、凡庸な意見と揶揄とパロディが溢れ、ものすごい速さで沈静化していく。
まあ「まとめサイト」などもあるが、正直、面白い論争なんて観たこと無い。
だが、一種の「自然現象」として一連の流れはどうしようもないとも言える。
議論に参加した人たちのストレス解消みたいな意味は、確実にあるのだ。
そしてまた、みんなすぐ忘れる。


それともうひとつ、これは別の話になるが、論争のテーマの取捨選択という問題もある。
たとえば、私が万引き大好きで、どうしても万引きがやめられず、さらに「どうして万引きしてはいけないのか」と言うとする。
そこに、「人間は昔狩りで生活していた」などの珍妙な理屈を混ぜ込む。
そうすると、まあこの場合例が悪いのであまり相手にされないと思うが、とにかく強引で素朴で反社会的なテーマというのは論争になりやすい。


しかも、これが重要なのだが、強引で素朴で反社会的なテーマというのは議論や論争があってもあまり面白い展開にはならない。
なぜなら、万引きはするよりしない方がいいのであり、なおかつ「万引き大いにすべし」ということになったとしても、万引きをするわけにはいかない。
どうも例を出すとうまくいかないが(笑)、たとえば「なぜ人を殺してはいけないのか」というテーマなど、他の人はどうか知らないが自分には面白くも何ともないのであった。
平和な社会では人を殺すわけには、まあたいていの場合はいかないし、だからといって刃物ふりかざして襲いかかられたら抵抗するしかない。


みんなグダグダの世界でケース・バイ・ケースで生きているのだから、ケース・バイ・ケースだとしか言いようがないではないか。


私個人は、たいていの場合、いろいろな疑問というのはすでに答えが出ていると思っている。
もちろん、「理屈ではそうだろうが心情的に納得行かない」ということは世の中にたくさんあるが、それは文学の領域で、公式があって数字を当てはめれば答えが出るような問題ではない。
そして「文学の領域」というのは、まさしく文学という形態でないと表現しきれないということなのだから、それ自体を議論しても始まらないのであった。


逆に言えば、つまらない議論というのは論者の心情を探れば多少面白いのかもしれない。どうしてそういうことを言い立てるのか、というようなところに興味の焦点を絞れば。
でもやっぱり、興味ないな。そりゃ人生いろいろあるもんね、みんな。