望んで奴隷になったのか、あるいは本当に奴隷だったのか?

ここの続き。
「企業中心社会」について。
企業が巨大化するにしたがって、それ自体が一個の生物のようになり、自身の保持のために人間を疎外していく、という考え方に、私は基本的には賛成だけれども、じゃあまるで前近代的な奴隷のように企業戦士が不幸だったか、というと、そこは疑問があります。


むしろ、仕事上の快楽があまりにも伝えられてこなかったというか、日本人って「仕事の楽しみ」を人に伝える能力が基本的にぜんぜん無い、あるいはあったけどどこかで失われてしまったんですよ。


それを一気に盛り返したのが「プロジェクトX」だったわけでしょう。
まあ、「男は仕事のことをペラペラしゃべるもんじゃない」という日本人の気質みたいなものがあるのかもしれないし、
もっと意地悪い言い方をすると、日本人って基本的に自分にとって「いいこと」はあまり言わないんだよね。


「貧農史観を見直す」という本は、「かつての日本の農村は、白土三平のマンガみたいに、あれほどまでに悲惨だったのか」を、どれくらい作物が取れたか、年貢の分配は、などのデータ的な側面から検証した固い本ですが、
コレを読むと感じるのは「日本人って、いいことはぜったい言わねェなあ」ということです。

貧農史観を見直す (講談社現代新書)

貧農史観を見直す (講談社現代新書)

たとえばみんな、どんなにヒマでも「忙しい」っていうからね。


まあ規模は違うけど相似形なのは、戦後に、戦中の雰囲気がどう語られてったか、ってことにも通じますよ。
あんまり「戦争って人を殺せて楽しい」とか公然と言う人はいないわけでね。