現状のテレビ芸人のつぶは小さいか

よく、あんましお笑い自体に興味のない人から「最近の若手芸人は区別がつかねえ」みたいなことを言われる。
で、その裏にはビッグすぎるたけし、さんま、タモリ、欽ちゃん、やすきよ、もうちょっと若い人だとダウンタウンの神聖視というのがあると思うんだけど、
これは一種のパラダイムシフトが起こっちゃったんだからしょうがない、と個人的には思いますね。


別の言い方をすると、歴史の変化として後戻りできない、江戸時代から明治時代の変化と同じようなことがあって現在に至るから、
いくら昔を懐かしんでも昔と同じような芸人はもう出ないと思いますよ。


そもそもが、昭和の時代って「本来ライブの芸である『お笑い』を、どうテレビで定着させていくか」っていう模索の時代だったと思う。
で、たぶんワタナベエンターテイメントとかは最初からテレビ向けの芸人を育成している印象はあるんだけど、
どうしてもライブ、舞台上で面白いことができる人間の方が強い、というのがある。
まあわからないけどね。それは神話にすぎないかもしれないけど。


で、だんだんわかってきたことがあって、テレビで人気の出るお笑い芸人って、テレビになじみすぎると「お笑い」って認識されなくなるという奇妙な状況がある。
「エンタ」って、逆説的に舞台芸はテレビでなじまないことを証明していると思うんだよね。
人気を出すためにあそこまでいじる。
で、実際に人気が出てしまうわけだから。


桜塚やっくんなんて1回も観たことないけど、たぶん「あばれヌンチャク」時代の方が面白いだろうと予想つくし(あんまり予想だけでものを言っちゃいけないんだけどね……)。


何が言いたいかというと、「テレビ」ってどういうものか、もう芸人側もある程度認識できてるんじゃないかということ。
そうするとそれぞれが適性な芸風を選択してしまうから、
テレビでお茶の間の顔になるような人はもう出にくいかもしれないね。
出ていても気づかれない存在になるかもしれない。
たとえば今田耕司がメイン司会をやっても、「あの今田が!!」とかだれも思わない。でも面白いわけでしょう。
それが最適解だ、って芸人側も思っている部分はあるんじゃないか。


あとダウンタウンの変な行動の影響、というのもあって、
年齢に気づいて驚いたけど彼らはまだ40代でしょ。
でも、50代のたけしと似たようなポジションにすでにいる。ダウンタウンが過激なことをいろいろやって、いったん「降りる」ということをしてしまったんで、そこに断絶感を感じる人はいるかもしれない。
しかも、今の若手でダウンタウンに影響を受けてない人ってほとんどゼロだからね。


やってる方はともかく、観ている側としてはテレビのお笑いってなぜかいくつかの時代に断絶してしまっていて、継続するということがない。
だから、常にひとつ前の時代が輝かしく見えすぎる、っていうことはあるかもね。