働くおっさん劇場問題

http://d.hatena.ne.jp/hurricanemixer/20061122/1164145491


もう出かけないといけないのに、読んでしまったので私も思うところを書きまーす。
数年前やっていた「働くおっさん人形」は、好きでわりと観てました。

働くおっさん人形 [DVD]

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何が好きだったかっていうのはちょっと言語化できないんだけれども……早朝にやっていた「だれが観ているんだろう」みたいな形式の番組だったから、番組全体の謎具合(このおっさんたちは何者なのか? など)が、いい塩梅に自分を笑わせてくれていたのだと思う。


ところが、「働くおっさん劇場」は、自分にはかなり辛い。
かなりはっきりカミングアウトしますが、「笑い」ってどっから出てくるかっていうとイジメやケンカからに決まってる、と思ってます。
「いじり」という表現も同等。
ただ私の知るかぎり「笑いの本質はイジメだ」と言う人はあまりいない。ただ、いかりや長介は「自分の笑いの基本はケンカだ」とはっきりどこかで言っていた。


いじり、イジメ、ケンカ、そういうネガティヴなことが笑いにはつきまとう。そして、お笑いに限って言えばそれは「さじかげん」の問題になる。
「さじかげん」というのは、人によって違う。ここは本当のいじめ問題と混同してはいけないところです。


だから、「笑い」におけるいじめのさじかげんというのは、議論においてはただ「どんだけキツいか」というレベルの問題や、非常に感覚的なところになりがち。
そのような不毛さをふまえつつ書かせてもらうと、
私は「働くおっさん劇場」には、どうもなんかあまり笑えない。


見比べたわけではないが「おっさん人形」に比べると、おっさんたちの晒し者具合もエスカレートしてきてると思うし。


あと個人的なことだけど「おっさん人形」のときから3年、自分も「おっさん」たちに年齢が近づいている。
だから彼らのダメさ加減をあまり笑えなくなっているという、個人的な立ち位置の問題もあるけど。


リンク先のリンク先を見ると、松本が「本当のイジメ」に至るギリギリのところで勝負しているといったニュアンスの賛美のテキストもあるんだけど、
そういうのってすでに、赤塚不二夫吾妻ひでお永井豪がやっていることだからね、実験の新鮮味というのはあまり感じない。


それよりも、あのおっさんたちが本当にああいうパーソナリティの、本当に人生の落伍者タイプの人たちだったとして、
彼らは何であんなに従順なのだろうか。ギャラもらっているから?
それともこんなことにヤキモキしているのは自分がアホだからで、彼らは本当は大金持ちだったり巨乳のかみさんがいたり、劇団員だったりするのだろうか。


まあこの手の話はけっきょく、「おれは笑えた」、「おれはあそこまで行くと笑えない」というような感覚的な話に帰結してしまうんだけどね。
じゃあ何でそうなるかというと、自分自身は「笑いとは何か」という抽象的な問題に帰するよりも、
人間同士の関係性の問題として考えた方が見えてくると思うんだけどね。


そして最後に思うのは……やはり「愛」があるかどうかなのでは……(これは思考停止してしまいそうで書きたくない言葉なんだけど)。


だって、根本敬のドヤ街のおっさんレポートとか観て、「おっさん劇場」を観たときに感じる不愉快さを感じたことなんてただの一度もないもんな。