とんねるずの楽屋オチ

http://d.hatena.ne.jp/REDDEVILS/20061121/p2


ひと言つけ加えさせていただくなら、とんねるずが人気絶頂となる80年代後半は、よくも悪くもマスコミ業に対する憧れをマスコミが煽るだけ煽った時期でもあります。
まあ、その前には青島幸男とかもいたけど、放送作家がクローズアップされた時期でもあり、コピーライターがたいへんにもてはやされた時期でもある。あとスタイリストとか。
それらは「裏方」とされていて、それまでは表面に出てこない人たちだった。
そういうものも含めての「ギョーカイ」であり、やや突き放した言い方をするとそれに積極的に「価値付け」を行ったと言えます。


その辺は、秋元康の戦略でもあったんでしょう。


そして、とんねるずのギャグが嫌われる場合、それは「楽屋オチかどうか」ではなくて「ギョーカイ」というものに価値を置いたギャグだから、ということは言えますね。
しかし、彼らが「ギョーカイ」というどこまで本当かわからない世界をつくり上げてから、その価値は上がりこそすれ下がったことは現在まで一度もないのだから、彼らは無敵とも言えます。


(余談になりますが、電気グルーヴオールナイトニッポン時代、とんねるずを毛嫌いしていたように感じましたが、「おれたちがスゴイと思っているものがスゴイ。面白いと思っているものが面白い」というふうに自分たち独自で価値付けを行っていた彼らが、
とんねるずを嫌っていたとしたら強烈なライバル意識か近親憎悪的なものがあったかもしれないですね。)


さんまととんねるずは、同時期にテレビ内でのいわゆる「お約束」を視聴者側に開示することによって新しい笑いを切り開いていった人たちですが、さんまととんねるずの最大の違いはと言われたら、この「ギョーカイ」という一種のユートピアをどこまで祭り上げたか、ということになるんじゃないかな。もちろんそれはとんねるずの方がずっと大きかったわけですが。


「ギョーカイ」云々に関しては功と罪があって、いろいろとあるんですけども、
ただとんねるずが80年代後半から90年代初頭のバブル期崩壊までのギョーカイブーム、あるいは彼らのブレーンによる「東京とフジテレビがトレンドをつくっていく」かのような動きがすっかりなりを潜めた現在でも生き残っているということは、
私個人はすごいことだとは思っています。