石原真理子騒動

「(今回の石原真理子的な意味での)実名報道を、もしも今男性がやったら社会的制裁を受けるだろう」とテレビで長野智子が言ったそうである(ソースあいまい)。
その瞬間を見たわけではないので何を言わんとしているのか今ひとつわからないところもあるが、
無粋に解説を試みると、


恋愛、セックスを介在する男女間では女性の方が立場が弱い(とされている)。だからこそ、石原真理子の実名騒動は現状レベルではまずまず、容認されている


……ということになるんだろうかね。
テレビを観ているぶんには、少なくとも「亀田騒動」よりも世論的に否定的なニュアンスで盛り上がっているとは言いがたいわけだし。
テレビとしては本に出てくるのが自分たちが扱っているタレントだから、批判的トーンで接しているようだけど。


それにしても「サークルクラッシャー」という言葉をめぐるネット上の議論もそうだけど、常に男女逆転させて考えるようになってきてるね。
ひと昔前なら、今回の石原真理子の行為は「品がない」という「品格」の問題のみに帰結していただろう。
いや「品格」も最近流行りの言葉ですけどね。


ただねえ……私はタレント暴露本の歴史なんかまったくくわしくないが、
印象に残っているのはダン池田の「芸能界本日モ反省ノ色ナシ」なんだよね。

芸能界本日モ反省の色ナシ〈第2弾〉

芸能界本日モ反省の色ナシ〈第2弾〉


確かに本書を出したことによって、ダン池田はそれまでのタレント的なお茶の間の信用をすべて投げ打ったと言っていいだろう。
同じようなことが石原真理子に起こるだろうか?
それはまだわからない。


ただ、石原真理子の青春時代は確かに男性優位のラブアフェア(って言い方、死語か)が行われていたかもしれず、それゆえのある程度の石原真理子が容認されていること、なのかもしれないが、
今後はもう少し変わってくるのではないか。
男女の関係性が変わってくれば、たとえ暴露本が出ても「男だから」、「女だから」という問題ではなくなるかもな。


で、暴露本というのは最近の日本では出にくいんだそうです(訴えられるから)。
しかし、変な話だがなくならないでほしいというのもある。
というのは、暴露本を出すというのは特定のコミュニティから完全に離脱するということでもある(石原真理子はそう思ってないかもしれないが)。
ということは、その著者を受け入れてくれる別のコミュニティが存在する、ということだからね。
社会があまりに強固な一枚岩になると、暴露本も出せなくなってしまう。