新年あけましておめでとうございます。

新年あけましておめでとうございます。

昨年までは、何となくの「おめでとうございます」な書き込みでしたが、
今年は本格的に年賀状を書いていないのでかなり本気のご挨拶です。


今年もよろしくお願いします。


お餅を食べ過ぎないように!


さて、毎年お正月には「一年の計」を考えて恐くなります。
だって、未来は予測できないんだから「計」なんて立てられるわけがないんです。


昨年思ったのは、
・自分と世界は非対称
・自分は他人のようには生きられない


……という2点です。


ひとつ目。世の中は「社会があって自分がある」という建前になってます。たとえば当たり前ですが自分は税金を払っていて、そのために警察やら何やらが存在し、社会秩序が保たれています。
社会システムというのは、最大公約数的に人が基本的人権を守られるようにできています。
しかし、一人ひとりの内面はそうじゃないんですね。
それは社会システムではどうにもならない。一人ひとりに合わせていてはシステムとして機能しなくなってしまいます。


まあ、そんな物言い自体が「人間一般VS社会システム」という一般論にすぎません。


そうじゃなくて、「自分」、「私」、「おれ」がどうなるかということが問題であり、それは社会でも人間心理でも何でもいいですが、それを客観的に見続けているとどうしてもたどりつけないものであります。
(今後、こういうわけのわからないことをどんどん書いていって最終的にはアタマがおかしくなって姿を消す予定。)


おっと、ひさしぶりにネガティヴなことを書いちゃった!
しかも正月早々!!


ふたつ目。「自分は他人のようには生きられない」。
「生き方」というのも、無意識のうちに最大公約数的なことを選択していたり、あるいは「アンケート第一位」みたいなことをうらやんでしまいがちです。
しかし、そんなことはもう関係ありません。
もうイヤです。
……というわけで、青年海外協力隊としてどこかへ行きます。
そして、「金満大国日本人の見せしめ」として、現地へ着いてすぐ、


パーン!!


……ってな感じで狙撃されます。
そこはへんぴな国なので、事件はゴチャゴチャしてうやむやになってしまいます。
一方、渋谷のスクランブル交差点のところのビルのでっかいテレビには、
U-15のアイドルたちがえんえんと映し出されます。


もちろん、そのとき自分はそんなことはまったく知りません。
遠い国の空の下なのですから。


おっと、またネガティヴなことを書いちゃった!
しかも正月早々!!


メリー、ゴーランド、ドリーーーーーーーーーーーム!!!!!