絶対の虚無

この間、アニメ映画「パプリカ」を見に行きまして、面白かったんですが、
あれって「トラウマ」を扱っているでしょ。
まあ小説や映画の中で「トラウマ」を、便利なものとして扱っていいかという問題はあるにせよ、
まああることはありますわね。


でも、そのときふと考えたんですよ。
「トラウマ」というのは、実際はどうか知らないけど少なくともフィクションの世界では物語を生み出す「システム」なわけです。原動力と言ってもいい。
しかし、そういうものがまったくなかったら、人間というのは「内面」がまったくないものなのだろうか?
そうじゃないですよね。
出来事はなくても、内面は存在する。


「妄想」というのとは違う。「パプリカ」を観て思ったけど、あのアニメでは「夢こそは不可侵の存在」みたいに描かれているけど、
本当はそうじゃない。「夢」は現実の集積のはず(だから、正直あそこのくだりはよくわからなかった)。


たとえば刑務所に入れられて何十年も暮らす。刑務所に入ったことないからわからないけど、そこでの生活が虚無だったときに、
「虚無」自体がその人の歴史として積み重なってゆく。
「虚無」は、エンターテインメントの世界ではほとんどテーマにならないけど。
ただ確実に存在する。


自分の中の「虚無」を観て、恐くなった。
わけわからんでしょう?
それでいいんです。