メシ屋はテレビを廃止するという法律をつくろう
仕事帰りに中華料理屋に入ったら店の中のテレビで、たぶん「太田総理」だと思うけど、お受験とか学校教育についての議論をやってた。
わー、そうとわかってればこの店入らなかったのに。メシの不味さが10倍に膨れ上がるよ。
いや太田の立場は面白いと思ってるんですよ。太田、世間的には「なにヒダリっぽいこと言ってんだ」で済まされてるかもしれないけど、たぶん太田は現時点での「正論」は、ゆるぎなく保守的で反動的な言説だと知っていて、あえて逆の立場を言っていると思う。
まあ保守とか反動とかの基準もむずかしいというか最近は一概には言えないんだが、
たとえば「ゴーマニズム宣言」が、ずいぶん前の話になるがなんだかんだいって西部すすむにすり寄っていったことや、ある程度信用に足る知識人のほとんどが山本夏彦大好きっコであることを考えると、太田的立場というのは極端に弱体化していて、その逆の立場の方が強い説得力を持っているのではないかと思う。
で、太田はあえてその「弱い立場」に立っている。
テレビはなかなかホンネを言わないから、太田の言説は「普通」に聞こえるだろうが、ある程度ごにゃごにゃした議論が好きな人が太田を見たら「なんで今さらこんな立場にいるんだろう」と思うだろう。
整理すると、太田の立場というのは「テレビ的」には正論。しかし雑誌、書籍、ネットなどではわりと叩かれる立場。
まあそういうスタンス的なことは面白いけど、それ以外はひとつも面白くない。
- 作者: 太田光,中沢新一
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ジャガー横田のダンナとか、けっこうがんばってたけどね。さすがドクター。しかし、そういう彼さえもが、「教養とは『それが教養だと決まっているから』教養なのだ」という最後の言葉は言えないのだ。
太田は「ダンナは、ジャガーさんのプロレスを学問として認めてないじゃないか」って言っていた。それは鋭いと言えば鋭い。
なぜなら「プロレスは一般的に『教養』に入っていないから」認められないのだ。
しかし、ジャガーのダンナの立場から、そうまではっきりとホンネを言うことはできないだろうなあ。
つまり、「受験勉強」のラインナップというのは「今の日本で『教養』とは何なのか」について考えた方が、迂回しているようで実はもっと早く本質にたどり着けるのではないかと思う。
でもそれはやらないんだね。
なんでかというと、「教養を教養と決める人たち」というのがいるからだ。
陰謀論的な話をするつもりはないが、だってそうなんだから仕方がない。それ以外の理由なんか、たぶんないだろ?
また、ジャガーさんのダンナは「微分積分など、日常に役に立たないことを勉強してもそれは脳のアイドリングだ。そういうことをやっていた方が、興味のあることも理解しやすい」と言っていた。
これは、経験則としては大学出の人がよく言うことなんだが、
果たして立証されたことなのかどうか?
幅広く勉強した人間の方が、いざ専門領域を掘り下げるときでも有利になる、という話は私も昔聞いたけどね。
でもそれだって、統計とったわけじゃないんでしょ? それともとったのかな?
やっぱりテレビの議論はダメだね。ぜったいはずせないところをグルグル回ってるだけだから。
たとえば教育問題にしても、一人の天才をつくりたいのか、十人の秀才をつくりたいのか、単にバカを減らしたいのかでも変わってくるしね。
「バカを減らしたい、底辺を底上げしたい」というだけの教育と、秀才を量産する教育はぜんぜん違うものだし。
そこに、「格差社会」の問題もからんでくるから面倒くさい。
まあしょうがないけどね。日本の教育システムは戦後、高度経済成長に依存しないと成り立たないことは証明されつつあるように思うし、じゃあどうしたらいいかの結論は出ていない。
そんなことはどうでもいいんだよ!!
とにかく私の晩飯タイムが台無しになってしまった。
雨まで降ってくるしよー。
あと、こういう文章のヤケクソ的な締めとして、すぐに「オッパイもみたい」とか下ネタに逃げるのはナシね。それ許されるのはみうらじゅんかリリー・フランキーだけ!!
だっておっぱいもみたくない人だってたくさんいるはずじゃん。
前々から「スケベはすべてに通じる」みたいな考えに疑問だったんだよな。
でもホント、表/裏、ホンネ/建前、といった二項対立が単純じゃなくなってきているとは思いますよ。