光井続き
それで、光井の大物ぶり、落ち着きぶりに驚いた私だったんだけど、久住もけっこうデビュー当初から落ち着いていたことを考えると、ある疑惑が浮上してきていて、
「じゃあ、なんで五期はあんなにデビュー時に浮き足立っていたんだ?」
っていうことなんだよね。
もちろん、久住〜光井あたりは取った人が偉いのかな、という感じはあるんだけど、光井の促成栽培っぷりを観ると(彼女が歌やダンスのレッスンを以前からやってたとかそういうのがないとして)、
「もしかして(五期あたりまで)いらないプレッシャー与えてたんじゃないの?」
という気が、過去を遡行してなんか感じられてきた。
だって、もともと保田が加入した頃なんかはいちばん、「わざとプレッシャー与えてドラマ性を演出する」ってのが行われてきたでしょ。
日本人、そういうの大好きだからさ。
辻・加護があまりにも豪快な、まるでちょっと昔の少年マンガのキャラみたいな破天荒ぶりを発揮したからよけい五期の萎縮っぷりが目立ったというのはあるけど、まったくの勘だけで書くけど、
もはや「ASAYAN」のような、「新メンの成長を時系列に見守る番組」が無くなったから、そのぶん変なプレッシャーも与えなくて済んでいるんじゃ? ……っていう疑惑が、自分の中にある。
いや自分も、「なんでも自由にのびのびやらせればいい」っていうのが完全な正解だとは思いませんよ。
一時期、故・ナンシー関も沖縄アクターズスクールの「自由さ」を胡散臭いと言っていたこともあったじゃないですか。
だけど、そういうのをめぐる言説というのは振り子が振れるのと一緒で、自由がいいのかそうでないのがいいのか、学校的学習がイイのか徒弟制度がイイのか、体育会系的なのがイイのか文化系的なのがイイのか、
そういうのはその場その場で利点・欠点が浮上してくる問題であって、
今現在、そういう二項対立というのは対立したまま、ネット上の議論などでも平行線になっていると思うんだよね。
だからそういうのは現場現場の話じゃないのかね、考えても永久にわからんけどモーニング娘。の場合はどうなんかね? ということと、
やり方はどうあれ勝った者を「あれは実は負けなんだ」と言ってはイカン、ということ、「負け」を「実は勝ちだ」ということはOKでも、「勝ち」を「実は負けだ」ということは、現状の日本社会では言っちゃいかんのではないか、という光井とぜんぜん関係ないところで筆をおきたいと思います。
あとガマンできないので書きますが、情報コーナーで藤本がロリータファッションみたいのとかゴスロリみたいのとかを着てますが、
ああいうちょいおねーさんっぽい子が「ちょっとふざけて着てみました」という感じで子供っぽいかっこうをするとものすごくエロいですね!
女子アナがふざけてメイド服とか着る感覚に近い。
じゃ、これから自殺の準備がありますのでさようなら。
- 作者: 若原瑞昌
- 出版社/メーカー: キッズネット
- 発売日: 2007/02
- メディア: 大型本
- 購入: 2人 クリック: 182回
- この商品を含むブログ (79件) を見る