さすがにそれはないわ……

読んでる本にメラメラと腹が立ってきて、一日気分が悪かった。
どっかのだれかが「言葉は宇宙から来たウィルスだ」と言ったとか言わないとか聞いたが、
あるいはヴォネガットの「タイタンの妖女」だったか。
……内容は忘れたが……。
とにかく何が言いたいかというと自分の人生、きっと目には見えないなんだか偉そうなやつ(いや、自分を偉いとも思っていない普通のやつ)から徹底的に愚弄され続けてきた人生だということだ。


仕事帰りに古本屋回って何冊か本買ったけど、まるでワクワクしない。
自分は古本マニアではないと思っている。
で、そのうえで書くが、現在で言うと90年以前の本とそれ以降の本の間には壁がある。
90年以前の本で価値の高いものにはプレミアも付くし、そうでないクズ本は格段に探すのがむずかしくなる。
もうそうなってくるとどうやって探していいかわからない。
逆に言えば、金に糸目は付けなければそれはヤフオクでも何でも手に入りますよ。
でも自分の考え方として、それが私自身の糧になるのかどうか、ということをつい考えてしまう。


どんな分野でも、一定以上の量を読まないと身に付かない。
世の中には速読のオバケみたいな人もいるが自分はそうでないから、ある分野について読めばある分野が閉め出されることになる。
それは一種の賭だ。


あとは別の話だが、最近はそれまで省みられなかったクズ本にそれ相応の値段が付く。
まんだらけ」で芳文社コミックスの目録が出たときには、時代のひとつの区切りを感じた。
サブカルチャー」というのが、メインカルチャーからは「クズ」とされてきたものの再発見であるなら、
「再発見の中の再発見」という現象が90年代半ばくらいから起こっている。
それが、当然の動きなのか、時代の流れなのか、何かが袋小路に入っているのか、それはわからないが、
どうも今まで100円でワゴンで買っていたものがきれいにビニールがけされて売られたりすると違和感があったりする。
いいことだとは思うけど、
それはそれでひとつの価値づけであり、そこからまたさらに漏れてワゴンに行く存在というのもあったりするからね。


でもよく考えたら、柳田国男のやってたことだって当時は今の荒俣宏を100倍うさんくさくした行為だったのかもしれんし、
そんなことの繰り返しなのかもしれん。


かなり精神的にどん底でした。こんなどん底状態も珍しい。