鶴見済のブログ

tsurumi's text


私ねー、「完全自殺マニュアル」は、そのコンセプトが好きじゃないので読んでない。あとそれに続く「ぼくたちの完全自殺マニュアル」も、読んでない。
でも、なぜかその後の数冊の単著は読んでる。
とくに「人格改造マニュアル」はけっこう面白かった。確か気分をアッパーにするために、薬物から自己啓発セミナーまで、あらゆることをやるんだよね。
でも、その後ガッカリしたのはいちばん危険だと思われる薬物の使用だか所持だかで罪に問われたことで(「人格改造マニュアル」では、覚醒剤は言われているほど危険じゃないと書いてあったが、どうも自分にはそうは思えない)、
「なんだ、いちばん安易な方向に行っちゃったな」と思ったんだよね。


でも、その後の「檻の中のダンス」も読んだよ。あとこの本だったかどうか忘れたけど、テクノ(今、テクノって言わないの? エレクトロニカ? 知らん)などのダンスミュージックで踊ることを「巨大なびんぼうゆすり」とか言った感じで表現していたのが、面白かった。
確かに、レイヴにおけるダンスは「びんぼうゆすり」としか表現しようがないかもしれん。


で、リンク先のブログを読むと、「気持ちをアッパーにする」よりは「アッパーにならなければいけない社会」にずっと関心が向いているような印象だ。まあ「共進化」というワードは前から使っていたらしいし、ここに書いてあることのヴァリエーション(たとえばみんながふだん当たり前にやっていることは本当にやらなければならないのかという根本的な疑問)は何度も読んだことがあるんで、急に考えが変わったわけではないんだろうけど。


こういう考え方になると、一気に左翼的な考えになったり、あるいは「自然」をキーワードにしてるからアウトドア派になったり、どこか今まであったような方向性に落ち着いてしまうと思うんだが、落ち着きそうで落ち着かない、正しいけど凡庸な考え方におさまりそうでおさまらない、その辺が(私にとっては)スリリングである。


なんか読んでてももうちょっと、もうちょっとで生きるヒントになりそうだけどならないような感じだ。


一方で、これは完全に私の想像だけど、社会がどうとか人間がどうとか言う前に、この人は何か根本的な人生における欠落感を抱えている人ではないかとも私はにらんでいて、
だってさあ、普通東大出たら少なくともそれがアイデンティティになったりするでしょ?(私の東大幻想かなあ?)
その私的な部分、欠落感は、少なくとも単著ではあきらかにならないですよね。


完全自殺マニュアル」っていう本は、(読んでないまま感想を書くのもナンですが)「鬼畜系」が流行るか流行る前くらいの、いろんなものをデータ化して整理する「ネタ」本だと私は思っていて、当時もそういう見方が強かったと思うけど、
本当はもっと実存的なというか、なんかもっと深いところのこだわりでつくられた本なわけでしょ。
もちろんライターの、文学でも何でもない本でも連続して読んでいくとその人の人生の彷徨が見える感じがするときがあるけど、
この人の場合、とくにその印象が強い。


あ、急に思い出したけどマンガ家の山田花子も、作品が「人生の流れそのもの」という印象だった。
で、そういう人はできるだけ長生きして作品を発表してほしいんです自分は。答えが出ないまま彷徨う、そのあり方自体が「作品」だから。
鶴見済も、そういうタイプの人なんじゃないかと思う。