「そんなことないって言ってくれよー!!」

えーとですね、そういうセリフが入るECDの曲があったんですよ。


なんでも、若村麻由美の旦那である宗教団体のなんだかをやってるだれかが亡くなったそうで。
糖尿病だったらしい。やっぱりデブは長生きできないんだな。
ということは自分ももうすぐ死ぬな。


「そんなことないって言ってくれよー!!」


ネット上の愚痴の大半って、「そんなことない」って言ってほしくて成り立ってる。でも本当にそうだよね。
それで、ネット上って「そんなことない」っていう言葉と、とことんそれをいじって解体してやろうっていう言葉が衝突しているというイメージが自分にはあるね。
2ちゃんの罵倒とかはさあ、もう夢も希望もないじゃないですか。
あと、異様なまでに希望的観測をいやがる態度とか。
まあ冷静な判断は必要だが、希望的観測を潰して悲観的なことを嬉々として言う人というのは、あえてそういうことを言うという快楽を得ているということを、すぐに絶望的になる人々は忘れてはならない。


それと、けっきょくは批判的・絶望的・冷笑的・悲観的言辞というのは、その発信者の自尊心がどの程度かに帰結するという部分も重要だ。
自尊心というのは簡単なことでは得られないし、「根拠のない自信」という言葉があるが自信というのは基本的に根拠のないものだからだ。


自信のない人間が、自信のある人間の言葉に惑わされてはならない。


自信のある人間が情報発信者になる傾向があり、ネガティヴな言説にしても「自信がない」ということに自信がある人間が発信する、という矛盾がある。
そして、本当に自信のない人間はいろんなところで、少しずつ食い物にされる。


世に言う評論家はそのアポリアに取り組んでいるか? まあ大半の人は取り組んでいない。
それは、評論家にはたいていの場合、自尊心が普通に備わっているからだ。


だからこそ、小田原ドラゴンのマンガに出てくるような人々がいろんな言葉に振り回される。
(「コギャル寿司」なんて、うまいとは思うけど主人公が悲惨すぎて笑えなかったなあ……。)


それが、ときどきそこらにあるものをブン投げたいくらいに不愉快に思えてくることもある。
でも、すぐに忘れる。
私にも、微量だが自尊心があるからだ。


そして太りすぎで死ぬ予定。


「そんなことないって言ってくれよー!!」