議論の交通整理という問題(「オタクと創作」編)
下のエントリから連想して。
「ヨイコノミライ」っていうマンガがあって、自分はこのマンガを読んでいない。
なんか、読むとイヤな気持ちになりそうだから。
でも、「読者をイヤな気持ちにさせようとするのが意図のマンガ」らしいから、それ自体は作品をおとしめていることにはならないだろう。
で、何で読む気がしないかというと理由がもうひとつあって、
この作品の感想をネットで読むと、
「オタクの自意識の傲慢さをえぐっている」
というようなものがほとんどだからなんですよね。
そして、そこをえぐって、またえぐられている人がいるとしたら、それは自分には関係ないだろうという気はしている。
「オタク」を、創作に関わりたがらず常に批評家気分でいたいへたれだと思っていたら、
それは絶対に違うと思う(くだんの作品では、そのような描かれ方がされているらしい。私の解釈が違っていたとしたら、ごめんなさい)。
まあ、生来的に批評家としての才能が圧倒的にあり、創作など思いもよらないオタクというのもいるかもしれないけど、
私、オタクってのはみんな創作者として自分はどうなのか? っていう自問自答を通過してきていると思うんですよね。
果たしてオタクとは、批評者なのか創作者なのか?
というところが、そもそも、根本的に交通整理できていないんじゃないかと思うんですよ。
「グラップラー刃牙」では、「男はみんな地上最強になりたい」という前提で物語がある。
しかし、その夢は男が成長していくどこかで挫折する。
早いものは、父親にゲンコツを受けた時点で挫折する。
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これは、一見批評者寄りのスタンスを取っているオタクにも通じるんじゃないだろうか?
どこかで、創作者としての挫折の経験があるはずですよ。
私はありますね。
みんなそこをぶっちゃけないから、「オタクってのは自分が創作者になって批評者のヤリ玉にあがりたくないヘタレが多いんじゃないか」って思われたりもするんですよ。
逆に言えば、有名なオタクのオピニオン・リーダー的な人がその辺をどう考えているかは、みんなほとんど発言していますよ。
(物語をつくるという意味での)創作活動を行っている人もいるし、
逆に、物語をつくるのが生業で、でも「サガ」がどうしようもなくてオタク的言動を続けている人もいるし。
下記のエントリで「オタクという思想の中には、生身の女の子とつきあうための方法論がパッケージングされていないのではないか」って書きましたけど、
「創作すること、とどう向き合っていくかは」パッケージングされていますよ。
これはもう、買ったパソコンにバンドルされているソフトの存在にみんな気づいてないようなもんで。
だから、「自分が責任を取りたくないからオタクやってます」という人間が物語りに出てきても、あまりピンと来ないんですよね。
まあ、映画の「文学賞殺人事件」を観ればその辺の痛さは十分、という気がしますし。
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