たけし☆志村 史上最強の爆笑スペシャル!!〜4/7

たけしと志村けんが共演してコントをやった特番。
全体的に志村的ベタコントの連続で、志村けんって好みの問題ですが毎週見てるとさすがに飽きてくるんだけど、ときどき見ると逆に新鮮だし、安心して笑える「いい感じ」がある。
いくつか、覚えているところだけ。


「エレベーターを使ったショートコント」
「エレベーターを開けると中が階段」とか「エレベーターの中が異様に狭く、井上和香のエレベーターガールと密着したくてたけしと志村が取っ組み合い」とか「エレベーターの前が賭場になっている」、「エレベーターの中で葬式をやっている」など、これでもかとやってました。
中にはオチてないのもあったけど(「エレベーターを開けると、たけし扮するヤーさんが風呂に入っている、ってのは意味不明)、この二人がやると許せてしまう、というのはある。
また、「セットを使ったショートコント」はテレビでは最近見ない気がしてたので新鮮でした。


佐々木小次郎
大物俳優(志村けん)が小次郎に扮する映画撮影。監督はたけしのいわゆる監督コント。
こんなの若手がやったら怒っちゃうと思うけど、志村とたけしだから許す。
とくに、志村一人だとベタすぎる方向に言っちゃうんだけど、たけしが「(カメラが)肩をなめますから」っていうフリで、志村が武蔵役のガダルカナル・タカの肩をペロペロなめるのはもうわかってるんだけど、その視聴者の予想とか期待感をたけしが体現しているので楽しめる。


「ホテルのショー」
ホテルのオーナー(たけし)が、ひさしぶりにホテルのショーを見に来るという設定で、出てくる芸人が木久三師匠であろうと浪曲のベテランぽい人であろうと東京ダイナマイトであろうと、ほとんど何もやらないまま下げられてしまう。
コレはすごい(笑)。この二人じゃないとできないでしょこんなこと。
これまたオチがベタすぎたのがアレだったけど。
この特番の女の子要員は井上和香夏川純だったと思うけど、なぜかこのシーンにだけ熊田曜子が出てた。


怪人二十面相
たけしか志村、それぞれが明智と二十面相をやるのかと思ったら違っていて、志村は明智、たけしは二十面相から予告状をもらった大富豪。
「二十面相の裏をかこうとして毎回失敗する」という、これもミニコントの積み重ねですね。二十面相は脇役にすぎないのが外国のコメディっぽい。


(総評)
私は好きでした。ただ、たけしと志村で何かやると、ほとんどたけしが志村に合わせちゃうと思うんですよ。それと、たけしって全盛期の頃からコントでとくに実績ってないんですよね。「たけちゃんマン」も、さんまとともに、タレントとしての面白さだし。
むしろ、たけしの往年の面白さをコントで出すとしたらふだん組まないような大物(今回の志村けんのような)と組むより、気心の知れた人たちとやった方がいいと思う。

サブカルとオタクの違いシリーズ補足

http://d.hatena.ne.jp/norepan/20050412#p3

こちらを受けて、若干補足させていただきます。お話しさせていただきます(長井秀和)。
あくまで自説ですけども。

そう言えば「おたく」の呼称がいつ頃からかはよく調べている人がいるけど「サブカル」という呼称がいつ頃からかを調べている人は少ないですね。
で、「おたく」がどの辺から広義のサブカルチャーと区別されだしたのかはいろいろあるんですが、中森明夫が80年代半ばに「ブリッコ」で「おたく」って書くまではオタクとサブカルはある程度混沌としてたと思います。
この辺、ちょっと時代的に体験してないんで後追いですけどね。


サブカルにヒッピーの影響は、多少入ってますね。全部ではないと思うけど。


サブカルは成長し続けていた経済面が鈍化したことによる目標の喪失感から生まれた」説ですが、むしろ80年代に入っても低成長時代とは言いながら「経済大国日本」だったわけで、こと経済面に関しては広義のサブカルチャーバブル崩壊まで後押しされ続けていたと思います。
で、バブル崩壊当たりから、景気とはカンケイなく趣味にカネをつぎ込むオタクが、「いいお客さん」として注目されたりしました。それまでは経済面から見ると単に「買ってくれるけどうるさいことを言うよくわかんないやつ」だったんじゃないかと。


サブカルのスタートはアンチ社会派か」というギモンですが、コレは何度か書いているように、学生運動的なスタンスをオブラートにくるんだ、もしくは違ったかたちで表現しようとしたのがサブカルだったと私は思っています。
ただ、「社会変革を願う」ことと「社会派」というのはまた別で、サブカル好きの中にも文化的な方向にシフトしていく人と、社会問題にも目を向けるべき、という人といたように思います。
80年代の終わりに原発問題を取り扱った「危険な話」のちょっとしたブームがあり、この頃の反原発運動を「ネオ社会派」と言ったりするのも、「サブカル」と「社会派」というカテゴリーは重なったりズレたりする、ということの証左です。


一方で、南伸坊とか「昭和軽薄体」文体を広めた「面白主義」とも言うべき人たちが80年代初め頃からエッセイとかコラムを席巻します。この人たちが積極的に「面白ければ何でもいいんだ」と主張したのは「面白いだけではダメなんだ」というそれまでの「社会派」的な主張に対するアンチだったということは言えます。
ただし、これらの人たちも今のノンポリに比べればよっぽど社会問題には敏感だったと思われますが。