サブカルとオタクの違いシリーズ補足

http://d.hatena.ne.jp/norepan/20050412#p3

こちらを受けて、若干補足させていただきます。お話しさせていただきます(長井秀和)。
あくまで自説ですけども。

そう言えば「おたく」の呼称がいつ頃からかはよく調べている人がいるけど「サブカル」という呼称がいつ頃からかを調べている人は少ないですね。
で、「おたく」がどの辺から広義のサブカルチャーと区別されだしたのかはいろいろあるんですが、中森明夫が80年代半ばに「ブリッコ」で「おたく」って書くまではオタクとサブカルはある程度混沌としてたと思います。
この辺、ちょっと時代的に体験してないんで後追いですけどね。


サブカルにヒッピーの影響は、多少入ってますね。全部ではないと思うけど。


サブカルは成長し続けていた経済面が鈍化したことによる目標の喪失感から生まれた」説ですが、むしろ80年代に入っても低成長時代とは言いながら「経済大国日本」だったわけで、こと経済面に関しては広義のサブカルチャーバブル崩壊まで後押しされ続けていたと思います。
で、バブル崩壊当たりから、景気とはカンケイなく趣味にカネをつぎ込むオタクが、「いいお客さん」として注目されたりしました。それまでは経済面から見ると単に「買ってくれるけどうるさいことを言うよくわかんないやつ」だったんじゃないかと。


サブカルのスタートはアンチ社会派か」というギモンですが、コレは何度か書いているように、学生運動的なスタンスをオブラートにくるんだ、もしくは違ったかたちで表現しようとしたのがサブカルだったと私は思っています。
ただ、「社会変革を願う」ことと「社会派」というのはまた別で、サブカル好きの中にも文化的な方向にシフトしていく人と、社会問題にも目を向けるべき、という人といたように思います。
80年代の終わりに原発問題を取り扱った「危険な話」のちょっとしたブームがあり、この頃の反原発運動を「ネオ社会派」と言ったりするのも、「サブカル」と「社会派」というカテゴリーは重なったりズレたりする、ということの証左です。


一方で、南伸坊とか「昭和軽薄体」文体を広めた「面白主義」とも言うべき人たちが80年代初め頃からエッセイとかコラムを席巻します。この人たちが積極的に「面白ければ何でもいいんだ」と主張したのは「面白いだけではダメなんだ」というそれまでの「社会派」的な主張に対するアンチだったということは言えます。
ただし、これらの人たちも今のノンポリに比べればよっぽど社会問題には敏感だったと思われますが。