みんな暴力についてどう思ってんの?

今日はイライラしているので更新量が多いです。


三国シェフ書類送検へ…従業員に傷害容疑


ミクシィのニュースにはコメントがつけられるようになってるんだけど、このニュースに関するコメント20数件のうち20件近くが、「こんなことは料理界では当たり前。わざわざニュースにすることもない」っていう意見だった。


けっこうびっくりしたけどね。みんなそれでいいの?
その前にこのミクニって人について。


当然、高くてこの人の料理なんて食べたことないけど、今から20年近く前、「気鋭の料理人」みたいな感じでテレビに出ていたのを観たことがある。
それがもう厨房ン中がすごいんだよ。従業員自身には手は出してなかったけど、そこら辺の壁に蹴り入れて怒鳴りつけたりしてさあ。
それと、料理に詳しい人は当たり前かと思っているかもしれないけど、料理が冷めないように皿も温めるんだよね。
で、料理を運ぶ係りの人は、皿の熱で薬指と小指が火ぶくれちゃってるの。それをアップで撮ったりしてね。


ミクニ本人も、ホテルの偉いさんと知り合いになりたくて偉いさんがトイレにいるのを見計らって自分もトイレに入って、ションベンしたくもないのに隣に行って世間話して顔を覚えてもらおうと思ったとか言ってた。


何が言いたいかというと、苦労人かもしれないけど露悪的なんだよな。
(あくまでも私の感覚では)自分の苦労を見せつけて感心してもらおうといういやらしさがあった。


普通さあ、料理人が厨房でケンカしているところとか、見せるか? 見せないのが常識じゃないの?
まあ料理人はどうか知らないけど、小売店で店長が怒鳴ったり従業員同士がケンカしたりしているのをお客に見せたりしたら、
そいつは大馬鹿だよね。
だからミクニって、なんだか嫌いだった。料理食ったこともないのに(笑)。


で、確かに、こういう社会というのは入ってくる人も納得ずくで入ってくるんだろうとは思うよ。いろんな噂も聞くだろうし。
でもそこには(上の方の人とか、部外者の)議論があってもいいんじゃないの?
どんな世界でも下っ端は発言権ないからさ。


前も何回か書いたかもしれないけど、
日本の教育って二枚舌で今日まで来てる。
天才や秀才、そこまで行かなくても「デキる人材」を育て上げる方法と、
全体の底上げをはかる方法。


学校教育というのは、全体の底上げをはかる方法。
言っちゃ悪いがいちばんできない子に合わせる。
上に行きたい子は塾に行ったりするよりしょうがない。


料理人の世界はよくわからんが、職人の世界は一般的には「デキる人材」を一定量確保するのが目的だから、
(あまりにも人手不足だったら別だろうが)やめたくなったらやめてもらってもかまわない、みたいな感じなんじゃないのかな。
食らいついていく人材だけを残す、という方法。

戦後日本は、それを両方、矛盾するくせにどっちもいいみたいなやり方でやってきた。


それどうよ!? って思わないのかなみんな。


たとえば傷にならない程度に常に奥さんをぶん殴る夫がいて、でも奥さんは夫を愛していて、
そんな関係の納得ずくの夫婦があったとしても、普通「どっか間違ってるんじゃないか?」って一瞬思うでしょ。


納得ずくの関係性の中に「おかしさ」を感じるというのは、どういうことかと自分でも思うけど……。
まあそれは「普遍性」への渇望だとでも思ってください。
そしてまた、「普遍性」を勘違いした人が世界史でいろいろヒドいことをしたことも、私はわかってますよ。


話を戻すけど、えーとだれだっけ、「料理の鉄人」の坂井ナントカさん、あの人はフランスに行って、向こうの料理人の制度が開かれてるってどっかで驚いてた。
だから別にミクニのやり方が必ずしも絶対でも何でもないんだよ。おそらく職人の世界でも議論はある。
もちろん、ぺーぺーで入ったら大局的なことなどかまっていられないけど、
部外者なのになんでこういう事件に対して「そんなの日常茶飯事で当たり前」とか言えるのかわからない。


そもそもさ、料理人の世界では手取り足取り教えてくれるわけではないって「包丁人味平」に書いてあったよ。
でも、学校の勉強は逆。
だって入学したら教科書がもらえる。それに、最初から学ぶべきことはぜんぶ書いてあるんだから。
情報が開示されている。本気出せば、その日からすべてがわかる。
だから「味平」の世界と、学校の勉強の世界は理念自体が違う。


別に違っててもいいけど、だれも不思議に思わないのかなあ?


もしかして、アフリカとポルトガルが違うとか、なんかそういう「国の違い」みたいな認識なのかな?


自分にはそういうところがなんだかぜんぜんわかりませんよ。


そうそう、学校教育側からすると、職人的な技術の習得法は「非効率」であると考えられているはずだ。
理屈から言って、そうでなければおかしい。非効率だから、ああいうやり方は採用しない。
だからむかし「金八先生」で、金八が染め物職人を特別講師に呼んだけど、あれは本当はおかしいんじゃないかな。
それで、学校教育の問題は単なる効率の問題だけにとどまらない。
だって「人格形成」とか目的としているんでしょ。
そうすると哲学の領域まであと一歩だよね。


んだから四角四面に考えれば、学校教育者はあの先生用のコンパスとか三角定規とかを持って、職人と戦わないといけないんじゃないかな。
だってどう考えても正反対だもんね。考え方が。


いわゆるホワイトカラーのサラリーマンとも、工場労働者とも職人の理念は矛盾する。
でもま、働いている人は思想家じゃないんで、何にも言わないんだと思うけど。
でも工場の「現代の名工」とかさ、あれだって本当は矛盾を含んでるでしょう。
どうなのよ、その辺、って思うけどどうでもいいや。


最後に、むかしそのまんま東かだれかが、たけし軍団のだれかに暴力ふるって辞め際にその人が訴えた、っていう事件もありましたよ。
「辞め際に訴える」ということがどうして起こるのかも、考えた方がいいよ(ミクニに殴られた従業員がその後辞めたかどうかは知りませんが)。
どうせ世間的には訴えた方が負け犬になってしまうんだし。


今、ようやく訴えても負け犬にならずに済むようになったのって、セクハラ問題だけでしょ。
やっぱりもうちょっと何か考えた方がいいと思う。
現状が何も変わらなくても、だれかが何か考えた方がいいと思うわ。

どっちが茶番か

欽ちゃん、再出発誓う


欽ちゃん「オレやるぞ」涙の存続表明


欽ちゃんがわずか数日で、球団解散をひるがえした件について「自分勝手」、「ワンマン」、「感動を自作自演している」、「茶番」などの意見が意外に多いので驚いたのであった。
私も欽ちゃんフリークというわけではないが、もともとタチの悪いいたずらをする人だということは知っていたし、
また自分がメインのバラエティ番組も、クォリティを落とさないために定期的に休む、ということをやっていた人だ。
視聴率30パーセント近い人気バラエティ番組を定期的に休むなんて、ワンマンでなければできない行為だろう。


また「感動を演出している」という意見に関しては、これは私のひいき目だが、「みんなをだましてやろう」という気は欽ちゃんにはないのではないかと思う。むしろ長い芸歴を経て、耳目を集める本能のようなものがあるのではないか。


なお、私が「欽ちゃんが今後極楽山本の面倒を見るかどうか」に注目しているのは、今回のゴールデンゴールズの件はあきらかに山本を「ダシ」にしているとも言えるからだ。山本が出演しているドラマ「東京タワー」が放映中止になるという噂もあったが、とにかく、今後、山本と関わった人々の対処がそのまま山本の所業を断罪することになる。
それを欽ちゃんが自覚しているか、あるいは仁義みたいなものがあるのか、ということが気になったのだ。


それに関しては、しつこいようだが過去に欽ちゃんが高部知子をバッサリ切り捨てたことが、私のトラウマになっているからでもある。
(まあ、欽ちゃんは何も考えてない可能性がいちばん高いと思うが。)


欽ちゃんのやっていることは、ふだんから一種プロレス的なところがあるので、私は現状では「アリ」だと思っている。
しかし、以下の「ゲド戦記」の件はどうだ。


ジブリ最新作で宮崎駿と息子・宮崎吾朗、親子断絶の大ゲンカ!?


「ゲド戦記」宮崎監督に認められた


これを茶番と言わずして何とする。まさにアメプロ的演出ではないか。宮崎監督に認められたからどうだというのだ。
いやそれ以前に、アニメの仕事をしてこなかった息子を監督に就任させ、注目を集め、もちろん同時に非難も浴び、その非難を少しでも回収するために親子の問題にすり替えるなど、言語道断。


宮崎監督に認められたからどうだってんだい。じゃあ宮崎監督が認めたアニメは万人にも面白いのか?
いやそもそも、観客をなめているとしか思えん。
あ、まあいいや、こんな小細工、「ゲド戦記」を見に行く親子連れは知らないだろうからね。


私も前売り買ったから、観てみて作品本位で評価します。

萌えと娘。

http://d.hatena.ne.jp/eal/20060724#1153712222


どうもです。
五期メン加入に伴う娘。の方向性、という部分ですが、コレは私より詳しい人がたくさんいるでしょうし、私、五期メンのステージでの成長過程はまったく知らないんです。そのうえで書いてみます。あとたぶんに想像&妄想も含まれます。


まず五期メンバーを選んだ段階では、娘。がカッコいい方向に行くのか、かわいい方向/萌え路線に行くのかはまだ定まっていなかったと思います。
というか、ネット上ではそれまでのファンから「カッコいい路線」に行くのを渇望する声がすごく大きかった印象がある。
それまでは女性のファンって今よりも多かった気がします。印象にすぎませんが。


でですね、五期が入ってからもカッコいい路線の曲、あるんですよね。「ウィアラ」とか。他にもいろいろ。
記憶たぐってて曖昧ですが、露骨なセクシー路線と萌え路線で行くようになって、古参ファンでは離れた人も多い気がします(カントリーの「色っぽい女」とかシャッフルの「壊れない愛がほしいの」とか)。
「萌え路線」でいちばん露骨だったのは、確かに「紺野をイメージしてつくった」と言われる「涙が止まらない放課後」ですかね。


(あと、印象としてはまず萌え路線に行けないであろう保田が卒業したことがイメージとしては大きいと思う。
これも想像にすぎませんが、保田の後を次ぐ子が出なかったことは女性ファンを減らしたと思います。
かわいい子はカッコいいことをやってもかわいくなっちゃうんで、保田の卒業っていうのは極端な言い方をすれば歌と踊りのみで見せていく存在をハロプロから抹消しちゃったということだと思うんで。)


でも、「涙が止まらない放課後」のときすでに六期は加入してるんですよね。
「シャボン玉」ではっちゃけたことをやろうとしていた形跡もあるし。
だから私の印象としては、紺野が萌え路線を決定づけたというよりは、六期が選考された段階で萌え路線が決定されたという感じです。


あとはベリ工もキッズもほぼ完全美少女路線ですから、後からハロプロの「萌え的要素」をどんどん補強していくんですね。


で、モーニング娘。って面白いのは、後から決められたコンセプトに、それまでに入ってきた人が対応できるかどうか、っていうのがある。
なっちや矢口がすごいのは、まだ娘。が海のものとも山のものともつかなかった頃から、与えられたコンセプトをその都度こなしてきたということですね。
矢口だって入ったときにミニモニ。をやらされるとは想像もついてなかったでしょうし。


それでもって、確かに紺野が萌え路線を決定づけた可能性は大きいですけど、私としては六期の加入によって、さかのぼって五期の萌え性が再確認された、という印象なんですよね。
えー自分で書いててややこしいですが、紺野の萌え性の発露というのは六期メン参加によって、強く顕在化したという印象だということです。
それは他の人たちもそうで、私の印象としては石川、後藤なんかもそんな印象です。松浦は独自の道を歩み、辻加護もそうでしたけど。


五期選考の頃には、小川は保田系というか「カッコいい系専門」枠としてとられてたと思うんですよ。
どっちかというと中性的な魅力というか。
だから、グループ全体が萌え路線に行ってしまったとき、すごい不利な状況になってしまったとは思います。
小川個人のことで言えば、1年くらいはトークなどでハジケられなかったのも惜しかったですし……。


あと加入当時のガキさんはちょっとわかんない(すいません)ですが、五期全体のイメージをよくも悪くも決定したのは高橋で。
高橋は歌もダンスもイケてなおかつかわいい子だったですが、いかんせん主張がわかりづらかった。
これが「下克上で行きます!」とか断言してたりしたら、アサヤンからのファンなんかは喜んだと思うんですがそうでもなかったし、
かといって道重的美少女ギミックを備えた子でもなかったから、
……まあむずかしいですけど萌え/非萌えで言ったらはからずもその中間というか中途半端な役割を引き受けてしまったなあ、と。


いや私は高橋は好きですよ。それに過去のことを言ってもしょうがないですけど、
娘。の魅力がメンバー間の関係性の妙だとしたら、もし高橋に紺野との対比的なキャラが強く備わっていたら、
まあ歴史も(紺野の歴史も)変わっていたかなと考えてもしょうがない極致のことを考えてみたりするわけです。


なお「カップリング」などの問題については確かにむずかしいのでまたいつか。