まったくダメ。

「自分の人生のうまくいかない部分は、すべて自分の共通のダメさから来ていたのではないか」という「自分内ダメ統一理論」の妄想に最近取り憑かれている。
この妄想が確立されれば、過去から未来にわたって超時間的に自分は浮かぶ瀬が無い、ということになる。
すなわち、絶望。


ていうかさ、具体的に言うと「あれあれとこれこれの間に時間が2時間空くから、家でビデオ1本見れるなあ」みたいな計算とか、
「こっちで何かを作業している間に、こっちの確認を取る」とか、
そういうことが死ぬほど苦手なわけで。
それこそが、自分の人生のキモだった。
それ以外は、ほとんど無い。


まあバラすと、私に関して「そんなことないよ。わりとまともにできてんじゃん」と思われているとしたら、
それは、普通の人間の3倍から5倍以上の時間をかけているからです!!
そういうふうにごまかす方法は、ある程度習得してきてるんでね。
でも本当、そういうことが死ぬほどイヤだ。気が狂いそうになってくる。
実際、今日は気が狂いかけた。


世の中ぜんぶが、はまってそうではまってないパズルに見えた。
自分は、それを少しずつはめて全体の調和が取れるように調整していかないといけない。
しかも制限時間内に。


時限爆弾を止めるには、赤のコードか、青のコードか?
赤のコードか、青のコードか?
赤のコードか、青のコードか?
赤のコードか、青のコードか?


もうずっと、永遠にその決断をせまられている気分。
ベルトコンベアに、時限爆弾が乗せられてきて、それを瞬時に、
赤のコードか、青のコードか?
と判断し、すばやく切って送り出す。
もちろん、爆発してしまうこともある。


そもそも、赤か青か、その判断基準は何だ?
まったくわからない。
必ず赤だ、という人もいるし、必ず青だ、という人もいる。
人それぞれに合ったコードの色がある、という人もいる。
そんなものはないんだと、生まれたときから「赤を切れ」と教わってきたんだと言い、
赤を切って本当に爆発して死んでいく人もいる。


いったい何なんだ? この世は。
ヒッピー風の男がハーモニカ吹きながら言ったよ、
「赤のコードとか青のコードとか、そんなふうにこだわらなくてもいいんじゃないか?」って。
でも、こだわろうがこだわらなかろうが、「コードを切らなければならない」ことには変わりないんでしょうが!!


エリート官僚の男は言ったよ、
「赤のコードか青のコードか、瞬時に分からないやつはバカだ」って。
そりゃそうかもしれないよ。でもそれはバカじゃないあなたの理屈でしょう? それはもはや哲学ではないよ。
どっかの家庭のローカルルールだ。「トイレに入った後、電気消すこと」みたいな。
ウチには関係ない。


もう寝よう。


グギャッ、グゴボッ、ドヒャッ、グシャッ、アベッ、
ドンドコドドコドンドコドン、
ベンベラベンベラ、


いつものように、擬音とともにさようなら。

まあ確かに「書く側の義務」ってのはありますよね。

http://d.hatena.ne.jp/Sugaya/20070515


別に反論ってわけでも何でもなくて、質問とか感想とか。

今は面白くないと感じる芸人でも、いつか実力をつけて面白くなっていく可能性があります。そして、芸人を評論するということは、それらの芸人が成長するということを妨げる可能性も含んでいると考えているからです……というか、リアルタイムで変化するものを切り取ることは無謀だと考えているからです。


うーん、でもそうすると、たとえば同じ観点から「スポーツ選手」も批評できないことになってしまうのでは?
もちろん、お笑い界にスポーツ選手と違う性質があるかもしれませんが、そこはなるべく明らかになった方がいいと思います。


芸人がそれまでとは違った劇的な成長をすることを「化ける」、「化けた」という言い方がありますが、逆に言えばこの言葉のある頃から、「化ける前」の批評、批評とまでは行かずとも「感想」が成立していたからこそ、その比較論として「化ける」という表現があったのではないかと自分は考えています。
「生モノ」を批評するときには、そのときの年度や日付が明らかになっていれば、「ああ、このときはこういうふうに見られていたんだなあ」という記録になり、無駄ではないと思うのですが。

これは評論の権利などという話ではなく、純粋に評論する側の義務ではないかと思うのです。


「評論する側の義務」が存在することに関しては、異論ありません。
で、この「評論する側の義務」に関しても、いろいろ議論は行われていますよ。
あるアニメ評論家の人(講演で聞いた話なので、ソースを提示できないんで名前は書かないことにしますが)は、
「ネットでこれだけアニメの感想が溢れている現在、できるだけ製作者側にフィードバックできる感想を書くにはどうしたらいいか?」という観点で話をしてくれました。
たとえば「作画がいい」って、本当はどういう意味なの? とかですね。
テキストを書く側に「作画の良さ」の共通認識ができあがれば、ネット上の素人批評にもある程度意味が出てくるのではないか、という考え方です。


お笑いも、非常に感覚的なことを題材にしてるので、どっかで共通認識ができあがってくればいいんですけどね。

さらば愛しきふらいしゃー

鳥だ!

飛行機だ!

いやあれは……。

目の錯覚だ!!

鳥だ!

飛行機だ!

夏だ!

サマーだ!

ドラえもん祭りだ!!

鳥だ!

飛行機だ!

遊覧船だ!

屋形船だ!

屋形船で、天ぷら食べてる人だ!

その天ぷらは、まずかった!

天ぷらの温度にはひたすら厳しい職人!

でも中東で捕虜になって死んだ!

鳥だ!

飛行機だ!

飛行機雲だ!

地震雲だ!

地震雲が出てたけど、それを忘れて寝てたら本当に地震が来て死んじゃいました!」

ここから教訓を学び取れ!

地震雲の真偽についてはコメントいらないよ!!

鳥だ!

飛行機だ!

押尾学だ!

平山あや」 「土下座ナンパ」で、ググってみよう!!

鳥だ!

飛行機だ!

みのだ!

もんただ!

もんた&ブラザーズだ!

「ブラザース」なのか「ブラザーズ」なのか?

それはだれにもわからない!

ウソです!

めんど、

くさい、

から、

調べないだけです!!

もうコミケで「北斗の拳」のパロディ禁止!!

テレビアニメで、他のアニメのパロディをちょっと大胆にやって注目集めるの禁止!!

オシシ仮面の次は、オカメ仮面が出てる。

鳥だ!

飛行機だ!

いや、

ワンタンメンだ!!

しかも腐ってた!!

わーぎゃーうわーぐおえー

「父さん、芽が出てきたよ!!」
(「超人ロック」完)