まあ確かに「書く側の義務」ってのはありますよね。

http://d.hatena.ne.jp/Sugaya/20070515


別に反論ってわけでも何でもなくて、質問とか感想とか。

今は面白くないと感じる芸人でも、いつか実力をつけて面白くなっていく可能性があります。そして、芸人を評論するということは、それらの芸人が成長するということを妨げる可能性も含んでいると考えているからです……というか、リアルタイムで変化するものを切り取ることは無謀だと考えているからです。


うーん、でもそうすると、たとえば同じ観点から「スポーツ選手」も批評できないことになってしまうのでは?
もちろん、お笑い界にスポーツ選手と違う性質があるかもしれませんが、そこはなるべく明らかになった方がいいと思います。


芸人がそれまでとは違った劇的な成長をすることを「化ける」、「化けた」という言い方がありますが、逆に言えばこの言葉のある頃から、「化ける前」の批評、批評とまでは行かずとも「感想」が成立していたからこそ、その比較論として「化ける」という表現があったのではないかと自分は考えています。
「生モノ」を批評するときには、そのときの年度や日付が明らかになっていれば、「ああ、このときはこういうふうに見られていたんだなあ」という記録になり、無駄ではないと思うのですが。

これは評論の権利などという話ではなく、純粋に評論する側の義務ではないかと思うのです。


「評論する側の義務」が存在することに関しては、異論ありません。
で、この「評論する側の義務」に関しても、いろいろ議論は行われていますよ。
あるアニメ評論家の人(講演で聞いた話なので、ソースを提示できないんで名前は書かないことにしますが)は、
「ネットでこれだけアニメの感想が溢れている現在、できるだけ製作者側にフィードバックできる感想を書くにはどうしたらいいか?」という観点で話をしてくれました。
たとえば「作画がいい」って、本当はどういう意味なの? とかですね。
テキストを書く側に「作画の良さ」の共通認識ができあがれば、ネット上の素人批評にもある程度意味が出てくるのではないか、という考え方です。


お笑いも、非常に感覚的なことを題材にしてるので、どっかで共通認識ができあがってくればいいんですけどね。